2011年12月31日土曜日

今年1年ありがとうございました。

今年も後わずかです。
昨年は皆さんに支えられた1年でした。

また3/11以降政治も激動の年でした。

今年1年の感謝と来年の決意も込めて、今から住吉神社前で、ご挨拶に立ちます。行ってきます!

2011年12月30日金曜日

質問は誰がつくる?

   先日、民主党のあるベテラン県議が、「僕は(議会の)質問を全部自分で作るんです」と誇らしげに話していました。

 そのとき私は意味が分からず、「わざわざ言うほど、何か特別なことなのか(T_T)?」と思いました。

 ところが、その謎が次第にわかってきました。 

 ある委員会でのことですが、自民党の県議の質問が、いかにも原稿の棒読みという感じで、さらに何回かでてくる用語(漢字)がどうしても読めず、そこでつまってしまうということがあったそうです。
 同僚の杉本ちさと県議が「読む練習くらいしてこなあかんで…」とぼやいていました。

 つまりこの県議は、他人の作文を委員会でいきなり読み上げるだけで、事前に読みこんで理解することすらしていなかった、ということでしょう。

 その後、今度は民主党の新人県議と話をしていたら、〝え、共産党さんは質問を自分でつくるんですか〟と驚かれました。

 本会議の与党の質問は県当局がつくっていることは前から聞いていましたが、委員会の与党の質問も県当局つまり県の幹部職員がつくっているとのことです。
 その県議は、それで何の問題もないと思いこんでいるようで、悪びれる様子は何もありませんでした。

 私たちの、また市民の常識とのあまりの落差に気が遠くなりそうでした…。

 これが自民、民主、公明の「オール与党」の実態なんですね。与党の議員全員がそうだとはいいませんが。

 国会では、首相が答弁で官僚の作文を読み上げるのはよく見かけますが、兵庫県議会では質問まで当局がつくることが多い。
 これでは、議会の討論は出来レースそのもの。議会・議員の役割である県政のチェックなどできる訳がありません。緊張感ある議会になる訳がない。
 
 昨年12月2日付の神戸新聞は、「沈黙の議場」と題した連載で、「兵庫県議会では、記録が残る1959年から52年間、(知事提出議案の)否決、修正議決が1件もない」「自民、民主、公明の知事与党会派で80人(定数92)と圧倒的多数を占める議場では、議論も低調となり、議事はセレモニーと化す。『予定調和』『追認機関』と批判されるゆえんだ」と書きました。

 県民の立場に立って、(もちろん自分で質問をつくって)正面から知事を追及し、モノを言い、県政を動かす私たちの役割は重大だと痛感する今日この頃です。

2011年12月28日水曜日

原発ゼロへ 県民集会&兵庫の会結成

   例によって遅くなりましたが、ご報告です。

 「原発なくし自然エネルギーの推進を」と兵庫県民集会が18日、神戸市中央区のメリケンパークで1000人の参加で開かれました。

 もちろん私も参加しました。

 福島原発事故の被災者、浪江町の馬場績さん(67)が、代々引き継いできた農地が放射能で汚染され、野菜を作れないことや、家族同然の牛を失った被害、事故を起こした東電と政府への怒りを込めて告発しました。
 「原発をなくすため、福島県民と兵庫県民が熱い連帯でたたかいに挑もうではありませんか」とのべると、歓声と拍手がわきあがりました。

 浪江町から神戸市に避難している鈴木里さん(26)は、「ほかで事故が起これば同じことの繰り返しです。いっぺんには無理でも自然エネルギーに転換しなければいけません」と訴えられました。

 日本共産党の宮本岳志衆院議員が連帯あいさつしました。

 集会では、「原発をなくし自然エネルギーを推進する兵庫の会」の結成を大きな拍手で確認。集会後、元町商店街までパレードし、市民にアピールしました。

 子どもたちに放射能の危険のない社会を残すために、力を合わせましょう! という決意を新たにした1日でした。

メリケンパークの集会会場で

2011年12月26日月曜日

クリスマス

   12/24の夜にわが家のクリスマス会をしました。
 ぎりぎりまで外に出ていたので、バタバタでしたが。

 今日のメインは、“白菜ツリー”ヽ(^o^)丿。
 自分が小さい頃祖母が作らせてくれて、とても楽しく思い出に残っていたものです。
 白菜一玉にアルミホイルをかぶせ、それをツリーに見立て、ソーセージ、えび、プチトマト、チーズきゅうり、うずらたまごなどを爪楊枝に刺して、白菜に刺していきます。子どもたちは喜んで作ってくれました。 


白菜ツリーです。刺しきれず同じ具のサラダもできました^_^;
 
 
 被災地にも笑顔が訪れますように。

2011年12月25日日曜日

こども病院問題の番組 登場しました

   お知らせしていた、県立こども病院の移転問題が21日にABCテレビで放映されました。

 東日本大震災の津波で機能停止に陥った石巻市民病院を紹介して、なぜポートアイランドという危険な海のそばに移転する必要があるのかとか、神戸市がポーアイⅡ期の売れ残った空き地を埋めたいのが本音ではないかとか、本質に迫ったいい内容でした。

 私と、先輩の杉本ちさと県議もバッチリ登場しました!

 放映された私の発言は、ポーアイⅡ期は神戸市が医療産業都市構想をすすめている場所で、医療を産業としてもうける手段にするものなので、そこにこども病院が組み込まれることは県立病院の本来の役割とは相いれない、といったものでした。

 ただ、2人とも字幕には「県会議員」としかなく、「日本共産党の県会議員」とは紹介されませんでした。
 共産党の活動は報道を控えるマスコミの立場が現れているなぁと思いました。
 でも、番組全体はよくできていますよ。

2011年12月24日土曜日

金正日総書記の死去

   北朝鮮の金正日総書記が死去しました。

 北朝鮮というと、やはり思うのはまず拉致問題。テポドンや去年の韓国の島への砲撃事件もありました。

 それ以外にも、80年代から、ビルマの首都ラングーン(現ミャンマー・ヤンゴン)での韓国大統領一行に対する爆弾テロ(1983年)、日本のイカ釣り漁船への銃撃(84年)、大韓航空機爆破事件(87年)など、さまざまな無法行為を起こしてきました。

 私は80年代は未成年でしたが、夫はよく覚えていると言っています。
 特に大韓航空機爆破事件は、社会党などが北朝鮮を非難もしないなか、日本共産党はいち早く「北の犯行だ」とズバリ指摘したとのことです。
  
 日本共産党は、旧ソ連や中国(毛沢東派)の党にたいしてもそうでしたが、北朝鮮・朝鮮労働党とも正面切ってたたかってきた政党です。
 こうした無法行為を日本の政党のなかでもっとも厳しく批判してきました。
 
 そういう立場だからこそ拉致問題でも厳しく追及し、88年に共産党の橋本敦参院議員が否定できない幾つもの事実をしめして迫り、北朝鮮による拉致の疑惑(当時はまだ疑惑の段階)を日本政府に初めて認めさせました。

 その後も、不破さんが「交渉ルートを開け」と国会で提起し、その方向で動いていくなど、日朝間の問題の解決へ努力してきました。

 しかし、北朝鮮は「社会主義」を名乗る国なので、日本共産党も仲間だと宣伝され、そのため誤解する人もいて、私たちは大分損をしてきました。

 いずれにせよ今回の死去を契機に、拉致や核など国際的な懸案の解決、東アジアの平和へ、前向きにすすんでいくことを願います。
 自由も民主主義もなく、国民を抑圧する国内体制も変わらなくてはいけません。


 志位さんが金総書記死去にあたって、テポドン事件以来の日朝関係と日本共産党の果たした役割、今後の打開の方向について発言しています。こちらです。
 簡潔ですが、深いです。ぜひご覧ください。

2011年12月23日金曜日

師走の1日

   今日は朝から、六甲山から流れてきたような雪が降っていました。
 子ども達は大興奮(o^∀^o)。すぐ止んじゃいましたけどね。

 午前中は西岡本の野寄公園で恒例のお餅つき。準備、つき手、こね手、バザー番の皆さん、お疲れさまでした。 

西市議がつく時、私が手水をしました。
やればできるもんですね。でも怖かった^_^;

私もつきました。手水の方、上手でした!!
  
 午後は、兵庫県医師会主催の勉強会、「放射能汚染に関する研修会」に参加しました。

 講師は歴史学の研究者で、チェルノブイリ事故を学生の時から追跡してきたという、デービッド・マーブル氏(カナダのアルバータ大学著名教授。教授より上の著名教授という肩書きだそうです)。

講演するデービッド氏。
 

 政府の隠ぺい体質、放射能被害を小さく見せようとすることなど、今の日本政府にも共通する話で、また25年経ってもチェルノブイリの健康被害、特に低線量被ばくの影響については未だ決着がついていないなどなど、示唆に富んだお話でした。
 この学習会に議員が招待された意味は大きいと思いました。

2011年12月19日月曜日

変更のお知らせ!

お知らせだけです。
 先日当ブログで県立こども病院の建て替え移転に関して、朝日放送の取材を受けた事を書きましたが、北朝鮮金正日書記の死去に伴い放送日が変更になります。
 
 20日(火)→21日(水)18:17~18:54の間にあるようです。

 条件のある方は見ていただけたらと思います。

2011年12月17日土曜日

県立こども病院移転問題 テレビで放映

   お知らせです!

 須磨区にある県立こども病院のポートアイランドへの移転が、今問題になっていますが、20日の18時から19時の間で10分間ほど、朝日放送(ABCテレビ)でこの問題が放映される予定です。

 それで昨日(16日)、日本共産党県議団の杉本ちさと県議と私がテレビ局の人から取材を受けました!
 取材に来たのは、共産党が移転の問題点を指摘しているからとのことです。

 ぜひテレビをご覧ください。私も短時間登場するかもしれません。

 ◆県立こども病院の移転問題とは…

 同病院は、出産時から小児、障害児などのための総合小児医療センターで、高度かつ専門的な医療を提供する病院です。
 当ブログをご覧の方でも、お子様が診察・治療を受けたという方も多いのではないでしょうか。

 本館が築40年で、老朽化が進んでいるのと機能充実で手狭になってきています。県は、移転建て替えとしてポートアイランド2期埋め立て地の新中央市民病院の隣に移転する計画を進めています。
 
 しかし、ポーアイは阪神・淡路大震災の際、液状化被害があり「孤島」となりました。その後、地盤改良はされていません(神戸市当局への聞き取りに対しての答え)
 しかも東日本大震災の例から明らかなように、海のそばに災害時に拠点となる病院を集中させるなどということは、あまりにも無謀です。役割が大きい病院ほど分散させておくことがリスク管理の大原則です。

 神戸市がポーアイ2期ですすめる医療産業都市構想の一部となりますが、医師会はこども病院の移転について、地震や津波などの災害時、近くのウイルス研究施設の被災による生物学的危険(バイオハザード)のリスクがあることも指摘しています。
 
 もともと今年の年頭には「現地(須磨区)での建て替えができることが判明した」と、こども病院の院長自ら表明をされていました(こども病院ニュースレター「げんきカエル」)。

 私はこの問題を一病院の移転問題としてだけではなく、「県民の命を最優先に考える県政たり得るか」、県の根本姿勢を問う問題と考え、こだわって追及しています。

2011年12月11日日曜日

議員になって半年

   またしてもブログの更新が大分滞ってしまいました…<(_ _)>。

 これではダメだと思い、いま書いています。

 議員になって早や6カ月。(選挙で当選したのは4月ですが、正式の任期は6月11日から)  しかし、なかなか議員活動に習熟せず、悪戦苦闘が続いています。

 昨日10日(土)も夜9時半頃まで、県議団の控室で、明日12日(月)の健康福祉常任委員会(私が所属する委員会)での請願討論の準備をしていました。
 でも、いまだに準備が終わっていません…(T_T)。

 今議会で、健康福祉常任委員会にかかっている請願は、
 *県立子ども病院のポーアイ移転計画を中止し、拡充を求めるもの
 *0・4%の年金引き下げを元に戻すとともに、物価指数による年金引き下げを行わないことを求める(国への)意見書提出を求めるもの
 *消費税によらない最低保障年金制度の創設を求める意見書提出を求めるもの
 *障害者総合福祉法の制定を求める意見書提出を求めるもの
 *保育所の施設基準の条例化に当たって、現行の保育所最低基準を守り向上させることを求めるもの
 *「子ども・子育て新システム基本制度案要綱」に反対する意見書提出を求めるもの
 *看護師の増員等に関するもの
 …など11本あります。

 前回の記事で書いたように、請願とはとても大事なものです。

 この11本について、主に採択を求めて私が討論に立ちます。どれもすごく切実です。

 子育て世代、障がいのある方々、高齢者の願いを胸に、頑張って準備してしっかりと論陣を張りたいと思います。

2011年11月8日火曜日

請願討論をしました。

 ◆10月26日、県議会本会議で、中学校給食実施へ県の財政支援を求める請願と、4月28日を祝日「主権回復記念日」にするよう国に意見書提出を求める請願の討論・採決がありました。

 請願とは、国民・県民・市民が、こういうことをやって下さい(あるいはしないで下さい)と具体的に求めて議会に提出できるものです(紹介議員が必要です)。提出されると必ず議会で議論されるし、採択されると大きな影響を及ぼすこともあります。
 憲法に定められた国民の権利であり、国民が政治に参加するとても重要な手段です。

 日本共産党県議団から私が討論に立ち、前者の請願については当然採択を求め、後者は不採択を主張しました。

 動画がありますので、ぜひご覧ください。こちらからです。
 私の発言は、動画開始後2分20秒くらいから10分ちょうどまでです。

 ◆前者の請願についての私の発言全文は以下の通りです。動画を見てもらったらわかるのですが、一応ご紹介します。

 請願第11号「中学校給食の実施に県の財政支援を求める件」についてです。
 本請願が指摘するように、現在全国の公立中学校の約82%で完全給食が実施されており、未だ中学校給食を提供していないところは少数です。しかし残念ながら兵庫県での実施率は、50・7%で、全国でも下から4番目の実施率の低さです。

 学校給食について国は、2005年に制定された食育基本法にもとづき、その目的を「栄養改善」から食の大切さなどを学ぶ「食育」の観点に改め、その普及と充実をすすめているところです。
 最近、給食を実施した播磨町では、こどもたちや保護者からも歓迎され、給食は、食育の大事な軸として、また、教育の一環として、実感されているところです。

 県教委も6月県議会の答弁で「学校給食を通じて、小・中学校の9年間にわたり、食に関して体系的、継続的に指導を行うことは、学校における食育の推進にあたり、大いに意義あるもの」と認められ、その経費については、「国の学校施設環境改善交付金制度の積極的な活用をすすめ、市町に助言を行う」等の答弁がありました。
 
 貧困と格差が広がる中、未来を担う子どもたちを健やかに育てる責務は家庭だけではなく、社会の最低限の責務でもあります。
 そして請願にもあるように地元産の食材を使うことで地域経済活性化につながり、また災害時に避難所にもなる中学校で調理施設があることは地域の防災上非常に有用です。このことは東日本大震災の被災地でも実証済みです。
 
 請願は、県からの財政支援があれば、中学校給食の導入や、充実につながると指摘しています。実際に県内で給食実施に至っていない自治体は、初期投資の経費が大きな足かせになっています。
 財政上の理由で給食導入を果たせていない自治体に対し、助言だけではこれ以上進まないのではないでしょうか。また給食を実施している自治体は援助があれば、給食制度の充実をはかれます。

 よって中学校給食に対して県の財政支援を求める本請願の願意は、当然のものであり、採択を求めます。
                                                   (以上)

 この請願は、自民党・民主党・公明党の「オール与党」と無所属の一部が反対し、残念ながら不採択になりました。
 しかし、この間言ってきたように、各市町で中学校給食導入がすすんでおり、特に神戸市では大きく動いています。引き続き、実現へむけ、県と神戸市への取り組みを強めたいと思います。

 ◆もう一つの請願はあまり聞いたことのない要求なのですが、日本は1952年のサンフランシスコ条約発効で形の上では独立国となって以降も、実態はアメリカの事実上の従属国という状態がいまなお続いており、それからの脱却こそ国民的な課題です。
 ですから、主権を回復したとはいえないのに「回復した」として記念日制定を求めるこの請願には反対しました。

 自民党と無所属の一部だけが賛成、他の党は反対で、賛成多数で採択されました。
 もっとも、意見書を出すのは全会一致が兵庫県議会の取り決めなので、この件で国に意見書は提出しません。

2011年10月21日金曜日

中学校給食~交流会&市・県議会

 日中はまだ暑いですが、風はすっかり秋ですね。

 ◆10月8日(土)、「神戸の中学校給食を実現する会 学習と運動交流会」がありました。

 記念講演は東灘区の会でもお話しいただいた料理研究家の坂本廣子さんでした。
 食は人権であり、自分で生活の糧を稼ぐことができない義務教育の間は無条件で給食が提供されるべきであること、そして避難所にもなる中学校に調理施設があるのは地域の防災を考えたとき、非常に有用であることなどのお話を聞き、運動にいっそうの確信を持ちました。

 続いて金沢はるみ神戸市議が、今回の市議会の委員会では、これまで反対してきた与党会派が態度を変えて、「検討する必要がある」「早く検討会を作って結論を」と急に言いだし、「中学校給食の大合唱」という状況になっていることを報告。
 今まで10年間運動してきたが初めてだとのべ、ある会派から「あんたらの運動で変わってきた。給食の予算と方式が問題だ」と言われた話を紹介されました。

 どんどん流れができてきていると、あらためて自覚した集会でした。

 ◆同時に、さらに運動を強めることが大事だと、10月20日(木)の神戸市議会の文教経済常任委員会を傍聴して思いました。

 そこでは、「神戸の中学校給食を実現する会」などが提出した中学校給食実施を求める請願(こういうことをやってくださいと市民が提出する議案のようなもの)が審議されました。
 2万3000人の署名(第1次分、10月11日提出)が添えられた請願です。

 結果は、民主・自民・公明・みんなの党の「オール与党」が不採択を主張し、請願は不採択にされました。
 「検討会の結果を待つべき」などがその理由です。質疑で、自民党は明らかに中学校給食導入をよく思っていない態度でした。

 上のように態度が変わってきたとはいえ、常に当局と歩調を合わせるのが「オール与党」ですから、実施か否かや、賛否をはっきりと決める肝心の場面ではやっぱりこうなるんですね。すんなりいくとはもちろん思っていません。

 情勢は間違いなく大きく動いています。当局と「オール与党」をさらに動かすために、私たちの運動を大きくして世論を一段と高めていきましょう。

 ◆最後に県議会の動きです。

 10月の決算特別委員会のなかで、尼崎の無所属の議員が、中学校給食の実施に県として支援することを求めました。
 中身は私が6月の本会議で求めたことと同じだったのですが(苦笑)。
 尼崎でも中学校給食を実施させようという運動がいよいよ始まるそうです。無所属議員の発言はその反映でしょう。

 神戸市、尼崎市、芦屋市など数少ない未実施の自治体の住民と連携して、引き続き県の支援を求めていきたいと思います。

 本当によい給食を導入するために、とことんがんばりまーす!

2011年10月3日月曜日

原発再稼働についての答弁の変化

  9/30は、本会議の一般質問2日目で、日本共産党から西宮市選出のいそみ恵子議員が質問に立ちました。

 ①台風災害対策被災者支援の強化、
 ②自然エネルギーの本格的導入と原発からの撤退を
 ③子ども・子育て新システムに反対を
 ④子ども・障害者の医療費助成の所得制限強化案の撤回を
 ⑤高校の通学区拡大案の白紙撤回を
 ⑥西宮北有料道路(盤滝のトンネル)の無料開放を
 ⑦西宮の御前浜橋(はね橋)の通行改善を
 の7項目について井戸敏三知事に迫りました。

 わが会派の質問ながら、本当に台風災害の被災者に自己負担を押しつけてはならないと聞きながらつくづく思いました。動画はここから

 一つだけ前進した答弁がありました。
 原発問題に関連して、知事から「今回の福島の事故の原因究明とこれへの対策を含めた安全基準が明確にされて、これがクリアされることが原発再稼働の前提条件」と、今ただちに再稼働させるのは認められない、との見解が示されたことでした。
 
 6月に私が質問したときは、知事は「国においては、今回の事故原因の検証をもとに十分な安全強化対策を示されるまでの間でも、現時点での知見をもとに追加的な安全基準を明示し、基準に照らして…関西電力の停止中の4基の運転再開に関しても安全性の評価のうえにたって判断すべき」
 まわりくどい答弁ですが要するに、福島の事故の検証がなくても、とりあえずの安全基準をもうけてそれに照らして大丈夫だとなれば再稼働OKという見解でした。民主党政権と同じ立場でした。

 その後も事故の状況が収束に向かわず、放射能汚染が明らかになるにつれ、脱原発の世論も高まり、知事・当局の答弁が変わってきました。

2011年9月28日水曜日

受動喫煙防止対策

 9/22から9月の決算議会が始まっています。
県民の実情から見て役立つ税金の使い方になっているのか、
予算の執行状況から決算分析をする議会です。
安全・安心の県民生活を送れるような施策を提案します。

 各部局の決算委員会では、
①放射能汚染に関連して食品の検査態勢の強化を求める、
②自然エネルギーの研究、進捗状況をふまえ推進を求める、
UR県営借り上げ住宅からの追い出しはやめて希望者に契約延長を求める、
④県立こども病院の建て替えに関連して、防災上問題があるポートアイランドの神戸中央市民病院の隣接地への移転はしないこと、
⑤さらなる競争教育や長距離通学の負担増を招くと県民からも異論が噴出している、公立高校の学区拡大はやめること、
などを特に重点課題として県当局の姿勢をただします。
傍聴もできますので、ぜひお越しください。日程はhttp://www.hyogokengikai.jp/regular/regular02.html

 9/23は兵庫県医師会館で行われた「受動喫煙防止対策について」のシンポジウムに参加しました。
 
 今、兵庫県は神奈川に次いで全国で2番目となる「受動喫煙防止条例」を作ろうとしています。
たばこによる健康被害は科学的に因果関係が立証されています。日本も締約し、2005年に発効したWHOのたばこ規制枠組み条約に基づいて、国はたばこ対策を講じなければなりませんが、未だできていなので国に先んじて県が着手したということです。

スライド。諸外国で進むたばこ規制

 シンポジウムでは産業医科大学の大和浩教授が厚生労働科学研究「飲食店等における受動喫煙対策の実態と課題の研究」を、「我が国の受動喫煙防止対策について」をテーマに4名のパネリスト関口前神奈川県会議員、足立県医師会常任理事、狭間大阪府健康医療部健康づくり課課長補佐、望月国立がん研究センターたばこ政策研究部長からの報告をうけパネルディスカッションが行われました。
 禁煙指導薬剤師としてたばこ問題には特別の関心を持っていましたので、非常に勉強になりました。認識を新たにしたのが、「受動喫煙防止対策」は非喫煙者をたばこの煙から守るだけではなく、喫煙者の健康を守るためにもするということ。日本の(外国でも同じですが)たばこ事業が税収を増やすために国策として進められてきたことを考えると、当然のことです。喫煙者は自ら選んで喫煙者になったということではない。国策として喫煙者がつくられてきたということ。だから禁煙にも本来は国が責任をとるべきなのです。
 県民の合意を得て有効な受動喫煙防止対策をつくらなければと思います。と思っていたら早速後退した条例の骨子案が出てくるようですが(-_-)、がんばります。
 
 

2011年9月18日日曜日

さよなら原発

 暑いですね^_^;、 9月も下旬になろうとしているのに。
 この時期街なかの草っぱらを見ると思い出すのが、暑かった阪神・淡路大震災時のテント、仮設住宅。東北の仮設も暑いだろうと思います。一刻も早く良好な住環境が整うことを願っています。

 9月1日~2日、自然エネルギーを大いに普及させている高知県の梼原(ゆすはら)町へ視察に行ってきました。
 もともとは、町の経済活性化策として始めた風力、小水力、間伐材を使った木質バイオマス発電でしたが、原発依存から自然エネルギーへの流れの中で一躍脚光を浴び視察が殺到しているそうです。
 風力発電の売電で得た収益を家庭用太陽光発電の設置補助にしたり、林業に役立て木質バイオマス発電を実用化させたり、一般財源に繰り入れせず、特別財政として循環させたとのことです。梼原町では、町の消費電力をはるかに上回る発電をしているそうです。
 こういう地産地消のエネルギーを確保した結果、台風時度々電線が切れて停電になっていたのが解消されたそうです。
 原発に頼らなくても、自然エネルギーの大きなそして夢のある可能性をとても感じました。同時に、その地域の環境や素材をうまく使えば、地域活性化にもなると確信しました。

梼原町森林価値創造工場
  
 福島原発事故・東日本大震災から半年の11日には、メリケンパークで開かれた集会「さよなら原発9・11神戸アクション」に参加し、連帯のあいさつをさせていただきました。
 この集会は、東京・明治公園で19日に予定されている「さようなら原発集会」に呼応したものです。共産党からは練木恵子県議団長もあいさつし、西ただす神戸市議も参加しました。

 参加した500人が元町・三宮をパレードし、脱原発を多彩にアピールしました。

 私のあいさつはこんな感じでした。

 神戸市東灘区選出、日本共産党県会議員のきだ結でございます。
 一言ごあいさつ申し上げて今日の集会に参加したいと思います。あの東日本大震災から半年。今回の事態は安全な原発などありえない、原発とは絶対に共存できないということを最も悲劇的な形であらわしているのではないでしょうか。
 野田新首相は背を向けていますが、日本が原発から撤退する政治的決断が必要です。私たちは5年から10年以内に原発をゼロにすることを提案しています。日本は自然エネルギーの豊かな資源があります。いま総発電量の25%を占める原発をゼロにし、いま9%の自然エネルギーを短期間のうちにそれくらいに引き上げるのは十分可能なことです。他の国ではやっています。政治がその気になればできることです。 
 さよなら原発、この1点で世論を広げに広げ、必ず実現させましょう。
 合わせて、放射能汚染の問題で、福島の小学生が七夕の短冊に「将来ガンになりませんように」と書いたことが報道されています。私にも小学3年と5歳の子どもがいますので胸が締め付けられる思いがします。放射能被ばくには「これ以下なら安全」という数値はありません。徹底した調査と除染、万全な健康管理、食品検査などを国が総力を挙げた大事業として、また自治体も行う必要があります。
 私はこの問題を県議会の委員会で取り上げて県に対策を求めましたが、当局も与党のみなさんもまだまだ鈍い態度です。みなさんの後押しを心からお願いいたしまして、私からのあいさつといたします。ご一緒にがんばりましょう。        

集会であいさつしているところ
 

2011年8月27日土曜日

中学校給食実現の東灘区の会結成

 8/21(日)には、中学校給食を実現する東灘区の会の結成総会がありました。記念講演は料理研究家の坂本廣子先生。朝から雨模様で集まりを心配しましたが、約40人の方が集まってくださいました。
左から松本のり子市会議員、私、西ただす市会議員

 署名運動の呼び掛け人、参加団体などを確認したあと、私からは簡単に、学校給食の変遷、県の中学校給食に対しての姿勢、選択制でなく全員が食べる給食の実現などを、市会議員の松本のり子さんからはこの会が行われるまでの経過、市会の文教経済委員会でのやりとりなどをそれぞれ話し、そして交流しました。
 

 中学生を持つ保護者からは、「ずっと神戸で育ってきたから、給食がないのも当たり前と思っていたけど、他の市町でこんなにしていたとは・・・。絶対実現したい」、「必死に毎日お弁当を作っているけど、腐らないもの、食べやすいものにしようとすると、どうしても偏る。冷凍食品が常にないと不安になる」。中には「毎日メロンパン1つだけ持ってきている子がいる」と切実な実態も出されました。
 
 坂本先生の講演も、視野が広がる大変興味深い話でした。成長期の子どもの発達(特に脳)にとって、必要な栄養素を摂ることは決定的。そして食育の観点から言えば、学校の給食は食文化の継承をも担うという今日的な意義もある。これらの理由から、義務教育の間は学校給食が欠かせない、だから神戸市は「お金がかかる」とかケチくさいことを言わずに、未来の人材を育てる大事な事業にこそお金を使うべきだ、神戸空港なんかにお金をかけている場合ではない!!と力説されました。
 

 この坂本先生の講演に、いちいち納得しました。
 今後の運動の大きな力になりました!

2011年8月26日金曜日

放射能汚染

 また、間が空いてしまいました(ー_ー)!!今度は、パソコン?ブログ?の調子が悪く、作業できない日が続き、そうこうしているうちに、出張になってしまいました。
 
 少し古い話になりますが・・・、8/16に所属の健康福祉常任委員会がありました。放射能汚染された腐葉土・培養土が神戸にも流通していた問題をとりあげました。その 何日か前に、議会の日本共産党控室の私宛に手紙が届いていました。
 差出人は「子供たちを守る母親・女性の会(仮称)」で、放射能汚染されている土が販売・流通していることについて、微量の放射線でも幼い子ども達には危険なので、販売地域などを行政が調査し、情報の開示などを求める内容です。
 私は、行政はこの声に応えなければいけないと思いました。
 
 委員会では、この手紙の内容を紹介したうえで、8/11に出された日本共産党の提言「福島原発による放射能汚染から子どもと国民の健康を守る対策」を引用しながら、兵庫県として独自の検査体制の確立、「被ばく量は少なければ少ないほどいい」という放射線防護の大原則に立って放射能汚染しているものを流通させないシステムの構築をと求めました。

 県は、多核種を精度よく分析できる検査機器(ゲルマニウム半導体検出器)を発注しているが注文が殺到していて、入荷されるのが少し先になるとのこと。ぜひ、それを活用して、県民を被ばくにさらさないようにシステムの構築をと再度訴えました。

  自民・民主・公明はそれぞれ、「住民は騒いでいるけど、基準値を下回る、健康に影響がないと言っているんだから、県は率先して“大丈夫”だと宣伝すべきだ」と言いました。「安全神話」に浸かっていたら、なかなか転換することができないんだなと改めて思いました。

2011年8月1日月曜日

中学校給食実現署名 スタート集会

 またも記事にするのが大変遅くなりました。申し訳ありません。

 この間訴えている中学校給食ですが、神戸市でも実施をと、7月18日に長田区の勤労市民センターで、全市的な署名運動のスタート集会が開かれました!

 6月(だったと思う)に立ちあげられた「神戸の中学校完全給食を実現する会」が主催したもので、諸団体や個人・有志の人、お母さん方、日本共産党の議員など100人以上が参加し、熱気にあふれました。

 私も報告者の1人として、県議会の初質問で、全市・町での実施に県が責任を持ち、大阪府のように財政支援をすべきだと知事に迫ったことなどを紹介。
  東灘でとりくんでいる署名はすごい勢いで集まり、大反響であることも報告し、「神戸で中学校給食実現へ一緒に頑張りましょう」とのべました。

 金沢治美神戸市議は、教育委員会がアンケートを実施するなど行政を動かしつつあると強調し、「教育委員会は決断を迫られています。全市的に運動を広げたい」と報告しました。

 西宮、宝塚、明石、姫路、相生の市議の方々が、教育としての給食の意義やお弁当との選択制の問題点、各市の実情などについて発言されました。

 参加者の方々からは、
「当たり前に中学校で給食を食べてきて、神戸に来た途端、給食がないと聞いて、意味がわからなかった」
「炊きたてのご飯のおいしさをもっと子どもたちに体験してほしい」
「苦労しながら孫の弁当をつくる娘のためにも実現させたい」
と切実な声が上がりました。

 主催者を代表して堀之内照子元神戸市議が「神戸市も変化しつつある。この機会を逃さず取り組みたい。各区で会もつくり、賛同者を増やして署名を集めましょう」と運動を提起されました。

 みなさんの報告や発言はとても勉強になり、一段とやる気が高まりました。
 実現へ頑張りましょう! 


スタート集会で報告する私=7月18日
                                   

2011年7月6日水曜日

ピンクのストール

 選挙からだいぶ経ちますが、朝など駅頭に立っていると、今も「応援していますよ」 「がんばってくださいね」と声をかけてくださることがあります。

 ありがたいことです。がんばる力になるのと同時に、期待に応えようと気持ちも引き締まります。
 県会議員として議会の中と外でどんな活動をしているのかを知らせ、皆さんに身近に感じていただくことに、心を砕かなければと思っています。
 近々県会報告を発行しますので、配布しながら住民のみなさんの声をお聞かせいただければと思います。

 最近うれしかったこと。
 先日、午前中の仕事が終わり、県庁に向かうあわただしい中、シーア(JR住吉駅のショッピングビル)に寄りました。
 「首の後ろが日焼けしている!」と元の職場の人から指摘されてたので、ストールを買いに行ったんです。
 何種類ものストールを手に握って、お店の鏡の前でとっかえひっかえ、どれにするか迷っていました。
 すると背後から、60代と思しき女性が小声で「ピンクがかわいいよ」と言ってくれたのです。
 私のことを知ってくれているような感じでしたが、違うかもしれません。すぐに行ってしまわれましたが、きだ結だと知っていて親しく声をかけて下さったのかも…。そう思うと、何かほのぼのとうれしくなりました。

 その一言でピンクに決めたのは言うまでもありません。

2011年7月4日月曜日

避難者訪問

 今日は、被災地から避難してこられ、中央区の県営住宅にお住まいの方を訪問しました。

 元兵庫県議会議員で被災者ネットワークの安田秋成さん、元県議、知事候補でもあった金田峰生さん、宮田しずのり県議とともに行きました。
 もともと何日か前に安田さんが行った時、エアコンがなく大変だという話を聞いておられたので、実情と他に困りごとがないかを聞くことが目的でした。

 1軒目のお宅に行くと、エアコンをつけます、と数日前に県から連絡があったとのこと。後で県庁に帰って聞いてみると、災害救助法に基づく仮設住宅扱いで、他府県もエアコンを設置しているので、兵庫県も設置することになったとのこと。一安心でした。

 2軒目のお宅は、とても明るく、若い22歳のシングルマザーと6カ月の赤ちゃんの2人世帯。福島県いわき市から避難して来られました。
 地震前まで住んでいた実家は、津波で3階建ての2階部分まで浸水。今補修をして両親は住んでいて、自分も帰りたいが31km圏内で、福島原発の収束の目処が立たなくては、子どもへの放射能の影響が怖くて帰れないとのこと。
 3月の下旬に3か月の赤ちゃんとこちらに引越してきて、ホームシック、育児疲れで一時福島へ帰り、いったん落ち着いて、また神戸で生活を始めたそうです。「まだしばらく福島に帰れそうにないから赤ちゃんを保育所に入れて働きに出たいけど、保育所いっぱいかなあ」とおっしゃっていました。
 家賃はありませんが、生活費、水光熱費はかかります。特におむつ代が大変とのこと。収入がなければ早晩お金が尽きます。
 何かあったら、と3人それぞれ名刺を渡しました。初めての育児というだけでも大変なのに、見知らぬ土地、慣れない環境で生活しなければいけないとは。

 今日お会いした方々をはじめ、全国に避難している人たちが、一刻も早く住み慣れた地に帰れるよう願うものです。そのためには住民本位の復興と原発事故の解決が不可欠。そのために私たちも頑張ります。
 そして、兵庫にいる間、できるだけ辛い思いをしないよう支援に全力を挙げなくてはと思いました。

2011年7月3日日曜日

中学校給食

 私の一般質問の際、中学校給食に関する県の教育長の答弁で「おっ」と思うことがありました。

 教育長は、学校給食を通じた食育の大事さを述べたうえで、「神戸市をはじめ、芦屋市、加古川市において市民や保護者へのアンケート等によりまして、学校給食について検討され、またされる予定と聞いております」とのべました。

 加古川と芦屋は検討中または検討予定というのは知っていましたが、神戸市が検討するというのは初耳でした。確認していくと、神戸市は7月上旬に、保護者・中学生・教職員と市民1万人へのアンケートを実施するとのことです。中学生の昼食の実態や食習慣、お弁当販売の課題、そして中学生のお昼ご飯は何がふさわしいか、などについて調べるといいます。
 神戸市議会の文教経済常任委員会で、「中学生の昼食アンケート」の結果によっては給食も検討するとの答弁があったそうです。

 子育て世代の強い願いが、また全市全県で「子ども署名」や選挙で訴えてきた私たちの運動が、ついに事態を動かし始めました!

 全国の公立中学校の81・6%(09年5月現在)が実施していますが、政令市(大都市)では北九州市がこの4月から始め、大阪市も実施を決め、未実施はごくわずか。
 兵庫県内でも、三木市が09年9月から、播磨町が1月から実施し、他の未実施のところも明石市、加西市、上郡町が実施の方向、芦屋市、加古川市が実施を検討と、メドがないのは神戸市と3、4の自治体だけになりました。  
 
 いよいよ、大きな運動で、神戸でも全県でも実現させるときです。
 神戸全市で大運動を起こす準備もすすめられています。中学校給食は私の公約の目玉だったので、公約実現の活動として全力を挙げます。

 ということで早速、6月26日にJR住吉駅前で、松本のり子市議、共産党女性後援会の方々と一緒に神戸市に実施を求める請願署名を集めました。


松本さん(左)たちと住吉駅前で署名活動=6月26日

  もうすごい反応。宣伝開始前のハンドマイクの準備をしているときから、中学校給食の署名だと知った通行人がわれもわれもと近寄ってきて署名。
 7人でとりくみ、1時間で105筆が寄せられました。こんなにたくさん集まる署名はめったにありません。子育て世代はもちろん、若い人も高齢者も次々とペンを走らせていました。

 松本さんによると、あるお米屋さんは「中学生がいる家には弁当作りのために米を多く届けている。給食になるともうからなくなる。それでも嫁は、子どもの栄養を考えると給食にしてほしいと言っている。嫁は毎日朝5時半から子どもの弁当を作っていて大変です」と署名したといいます。

 これからどんどんやります。もう突き進むしかありません!

2011年7月1日金曜日

初質問その2

 22日の本会議一般質問の全文と知事らの答弁はこちらです。当ブログの右欄にも掲載しています。
 日本共産党県議団の事務局がアップしてくれたものです。
 実際の質問とは違って、テーマごとに質問と答弁をセットにして編集してくれているので、わかりやすくなっています。

 詳しくはそれや動画を見ていただくとして、あらためて質問を簡単に紹介します。

 ①技術が未完成で安全な原発はあり得ないことを直視し、知事は原発から撤退の立場に立ち、運転停止中の福井の原発の再開中止を関西電力に申し入れるべき。

 ②東北の被災者の生活再建へ、県は、現行の支援金を抜本的に引き上げ、岩手県が実施したように店舗・工場へも支援するよう国に求めること。

 ③従来の津波高の想定のまま、海のそばへの県立淡路病院移転計画の中止・見直しを。防災の力を弱める職員3割削減は中止を。

 ④借り上げ復興県営住宅から阪神・淡路大震災被災者の継続入居を認めよ。

 ⑤高すぎてたくさんの人が払えない国保料(税)の引き下げへ、県が市町に独自支援を。滞納者への非人道的な差し押さえをやめるべき。

 ⑥中学卒業まで所得制限なしで子どもの医療費無料化を。「受益と負担のバランスが必要だから無料化はよくない」という論は、公的医療制度の原則から外れたもので間違っています。中3まで無料化した群馬県では全体の医療費は増えておらず、いわゆるコンビニ受診にもなっていません。

 ⑦中学校給食の全市町実施へ県が責任を持ち、大阪府がやったように県の財政支援を。兵庫県の中学校給食実施率は50・7%で下から4番目。食育のためにも必要です。

 これにたいする井戸知事をはじめとlした答弁を聞き直したら、これがまぁひどい。

 前回の記事で書いたこと以外でいうと、知事は、東日本大震災の被災者支援で「支援金額の引き上げは難しい」。菅首相でさえ「引き上げが必要」と言っているのに。被災店舗・工場への支援金支給も「事業用資産だから難しい」。岩手県はやっているのに。阪神・淡路大震災を体験した県の知事のいうことでしょうか。

 借り上げ県営住宅問題では、「期限までに円滑に住み替えていただく」と強調。知事が年末に言っていた、買い上げなどによる入居継続は、何やかんやと色んな条件を挙げて「(それらを)見極めながら十分な検討をすすめる」と。基本はあくまでも「円滑な住み替え」、つまり入居者追い出しだという旨の答弁でした。

 質問で、一昨年の豪雨災害のとき、直前に佐用町土木事務所が廃止されていたうえ、「実は、(隣の)光都土木事務所の人間は、…当日は誰ひとり佐用町の中心に到達できなかった」と県の職員が発言していることを示して、職員削減路線のため県は迅速な対応ができなかったことを告発しました。
 ところが知事は、事務所の統廃合や人材の集約で「緊急事案への機動的な対応が可能になった」「(光都土木事務所の職員は)たどりつくことはできなかったものの、…水防箇所の現地点検など迅速な初動対応を行いました」と。一体どういう意味? 職員自身が必要な対応ができなかったと認めているのに、何という強弁。

 再質問は、中学校給食の実施率が低い事について、知事の認識を問いました。それに対して「大阪府と兵庫県は相当な格差がある。大阪は実施率10%台、兵庫は54%。大阪が焦られたのは無理はない」と知事が言い、議場で笑いが起きました。ここで時間切れとなり、私が反論する機会はありませんでした。
 私は、「その大阪に抜かれようとしている。大事な食育を半分近くの中学生が受けられないのに、あなたは焦らないんですか」と本当に言いたかったです。
 ただ、教育長の答弁で注目すべき点がありました。これは次回の記事でお伝えします。


 とにかく色んなことで驚き、怒り、また勉強になった初議会・初質問でした。

2011年6月24日金曜日

初質問!

 終わりました、一般質問。

 原稿を作る段階で、選挙中にお聞きした声を反映することを意識したので、壇上ではそのことを思い出しながら、一つ一つの項目に集中しました。
 最初はさほど緊張はしなかったのですが、質問が終わりに近づき、答弁に応じて再質問が絞れるか??と逡巡していたら緊張してきました。1回目の質問が終わり、降壇した後からがヨレヨレでした(+o+)。
 
 答弁はというと……
 知事の原発に対しての認識は、昨日の神戸新聞でも見ましたが、こんな事態になっても、「原発が安全であるかないかは判断できない」から、福井の停止中の4基の再稼働を中止するとはいえない。
 国保料滞納による保険証取り上げは、差し押さえなどが増えているにも関わらず「適切に対応されている」、国保料引き下げのための補助の増額については「十分予算をつけている」。
 子どもの医療費助成については、「助成対象の年齢はトップクラス」←一部負担金の額、所得制限の基準など総合的みると、かなり負担は重い方。
 などなど。ほとんど新しい回答はありませんでした。

 改めて、要求実現のためには、議会でがんばって主張することと、地域での要求実現運動を盛り上げ、世論を作ることが大事だと痛感。それと同時に、議会での主張は他党の人も「なるほど」と思わせる理論展開、提案をすることが大事だと思いました。

 制限時間が迫り、再質問も絞らざるをえなかったのが残念ですが、いい経験になりました。
 
 
 

2011年6月21日火曜日

22日午後2時頃から一般質問

 前回の記事で、実は、明日22日の私の一般質問の時間を午後2時半頃からといったん書きました。その後、時間が早まって午後2時頃からになり、記事を訂正しました。

 チラシなどでは時間の訂正をお知らせしていますが、本ブログでもあらためてお伝えします。

 午後2時頃からです。傍聴に来られる方やインターネット中継をご覧になる方は、ご注意ください。

 それでは明日、がんばりまーす!

 

2011年6月15日水曜日

名実ともに県会議員に そして初議会・初質問

 11日に正式に県会議員になりました。
 選挙から2カ月もたっていますが、阪神・淡路大震災のとき特例で選挙が6月になり、それ以来、新県会議員の任期も6月からになったからです。
 兵庫県のホームページの中にある県議会のページが最近更新され、顔写真入りで載っています。これからは議員バッジもつけなくてはなりません(四六時中ではないですが)。

 身が引き締まる思いです。

 そして今日15日は議会開会日。初めての県議会出席となりました。
 しか~し、初っぱなにやってしまいました。議長選挙の投票用紙を壇上の投票箱に入れに行くとき、正面に向かって右から登壇しないといけないところを左から行ってしまいました。私が議席番号1番で、投票も1番なので、事前に議会事務局からルートに蛍光ペンを入れて説明を受けていたにも関わらず、です。しかも、議場がざわついている理由が自分とも知らずに(^^;)。
 そのせいで、次の民主党の新人議員の人も私と同じルートで途中まで進み、さらに議場がざわつきました。周りから指摘されて、引き返して正しい進み方で投票しましたが。
 正・副議長選挙の立ち会いもしました。

 そしてそして、22日の本会議で、共産党議員団を代表して私が一般質問をします!
 東日本大震災、原発問題、子どもの医療費無料化、中学校給食、国保料(税)引き下げ、借り上げ住宅からの被災者追い出し問題等々、いまの熱い焦点、選挙で訴えてきた諸問題をとりあげ、県知事に迫る予定です。

 その質問づくりに、いま悪戦苦闘中。先輩の県会議員の方々や県議団事務局のスタッフに多大な援助をいただいていますが、「間に合わないかも知れない」と焦る毎日です。
 でも、新人議員は誰だってこういうものだと開き直ってやっています。何よりも、選挙中も選挙後も寄せられた、たくさんの方々の期待と切実な声を胸に、やっとその声を議会に届けられるといううれしい気持ちもあります。
 がんばります!

 一般質問は22日午後2時頃から。多くの方々が傍聴に来ていただければ幸いです。インターネット中継もあり、録画も見れます(こちらから)。ぜひご覧下さい。

福井の原発を調査

 いつも、色々な出来事や報告の記事が何日も遅れてすみません。これからも遅れるかもしれませんが、ずうずうしく載せていきたいと思います(^_^;)。申し訳ありませんが、よろしくおつきあい下さい。


 8日は、兵庫県会議員団として、京都府会議員団、京都市・綾部市・舞鶴市の党議員団と合同で、福井県の若狭湾に立地する原発群の調査に行きました。「しんぶん赤旗」9日付に載っていますので、詳しくはこちらを。

もんじゅのPRセンターで佐藤正雄福井県議から説明を受ける。
前列奥から佐藤県議、宮田さん、ねりきさん、私、礒見さん。
 
 兵庫県議団からは、ねりき、宮田、いそみ県議と私の4人が参加しました。
 福井で原発事故が起きると、琵琶湖が放射能汚染され、琵琶湖を水源とする淀川から飲料水が供給されている神戸・阪神間にも甚大な被害が及びます。他人事ではありません!
 
 まず福井県庁で、地元のさとう正雄県議から報告を受けた後、県の原子力安全対策課長、危機対策・防災対策課長から原子力・防災対策について説明を受けました。

 午後は、美浜原発と高速増殖炉「もんじゅ」を視察。「もんじゅ」は15年前に冷却用ナトリウム漏れ事故を起こしています(ナトリウムは水に触れると爆発する危険な物質です)。どちらも活断層から1キロ以内に立地しています。

美浜原発です
 

美浜町はここにあります


福井に集中立地する原発。日本で一番の立地率

 それぞれのPRセンターで館長らは、「固い岩盤があるから地震がきても大丈夫」「CO2を出さないので地球温暖化対策に最も有効」などと説明していました。
 福島であれだけの事故が起きてもなお従来の見解や美化論を繰り返すとは…。「安全神話」にとらわれるとこうなるのかと思いました。

高浜、美浜、大飯各原発でこの地域の電力を担っているという図

もんじゅは厳戒体制。もんじゅに到達するには、専用のトンネルを通らないといけない。
もんじゅの全景が見える展望台からは写真撮影禁止

もんじゅの燃料

 もんじゅには、冷却剤として使っているナトリウムの扱いを学ぶ、“ナトリウム研修施設”があります。猛毒のプルトニウムを生みだし増殖させるだけでも危険なのに、特別の扱いが必要な物を冷却剤に使っているもんじゅは本当に危険です。

ナトリウムの火災実験。98度以上で融解、自然発火する様子。
空気中の水分にも反応するのでここではヘリウム(だったと思います)を充填している。


ナトリウム火災専用の消火剤、“ナトレックス”。主成分は炭酸ナトリウム。これを使っての消火訓練に各国からきているとのこと。兵庫県の消防署の訓練の様子も掲示してありました


 また、京都の浜田よしゆき府議のお話では、地元の行事で関西電力が、この期に及んでも「原発は安全」とアピールする子ども向けのパンフを子ども達に配っていたそうです。驚きました。


 ハードな1日でしたが、私の出身地の京都市内の議員さん、夫の友人である光永敦彦京都府議にも久しぶりにお会いできて良かったです。


 PS…今日は、今から初議会です。22日には初質問もあります。がんばります。

2011年6月9日木曜日

被災地支援報告③

 翌日5/26(木)午前中は、昨夜に引き続き文化センター避難所へ医療相談。診療ブースで待機して、医師の診察後処方箋が出た人に調剤してお薬をお渡ししました。

 この日は避難所で11時から森進一さん、二葉百合子さんらの激励コンサートがあるとのことで、診察に来られた人は3人と少なく、お部屋にもほとんどおられませんでした。
 この時ばかりは、被災者の方々(特に少し年配のお母さん達(^^))もウキウキされていて、私にも「お姉ちゃんも見に行こう!」と声をかけていただき、しばし皆さんと一緒に鑑賞させていただきました。 

ホールはどこも避難所となっているのでロビーで。2階と階段にも人がびっしり。
「おふくろさん」など3曲熱唱された森進一さん

 診療ブースに来られたある男性は、かかりつけ医の医院が再開され、避難所から通院できるようになったとのこと。
 その一方、ブースに毎日来ているという男性もいました。手持ちの薬が何の薬だったか判らなくなったり、安定剤がどこかにいってしまったなど、不安で時間内に何回も来られました。
 私も何度か対応しましたが、避難所内での対応だけでは限界があるので、坂総合病院のケースワーカーに担当してもらおうということになりました。

 お伝えするのが遅れましたが、下の写真にあるように、この避難所は間仕切りすらなく、段ボール箱を置いただけで生活スペースを作っています。床は畳のように見えますが、ゴザが敷いてあるだけ。プライバシーが全くなく、、固くて冷たい床の上の生活では、健康を維持するのは難しいです。

文化センター避難所

 さらにここでは、昼食は菓子パンとカップめんでした(下の写真)。避難所の食事は改善されていると報道されていますが、それは一部の話かもしれません。

前日に私が肩もみした女性。「これからお父さんと食べるの」とおっしゃってました。
 
 各避難所で空き時間に、愛知、奈良、高知など、自治体職員として支援に来られている方々にお話を伺いました。
 皆さん、「避難所で快適に過ごしてもらえるように自分達が清掃することなどは大事だけど、今からは避難所から出ていきこれからの生活ができるような支援をもっと強めるべきだと思う」「なかなか先が見えない」などとおっしゃっていました。

 いずれにせよ、避難所がある限り、医療・介護や生活面での人的支援はまだまだ必要であることを痛感しました。これから役所機能を回復させるためにも、息の長い各自治体からの職員(保健師さんなど)の派遣が必要だと感じました。
 
 2日間の支援活動でしたが、国や自治体、国民が総力で取り組む課題だということを改めて実感しました。
 自治体として兵庫県ができる支援、人的援助を強めることなど、議会で取り上げていきたいと思います。できるなら、またボランティアに行かなければいけないと思いました。


今回、支援活動にあたった全国の民医連の仲間です。
2列目の少し左側に私が写っています=坂総合病院内の支援センターで

神戸協同病院の石川先生(左)、道上先生(中)と私=坂総合病院前で
 

2011年6月7日火曜日

被災地支援報告②

 5/25(水)午前中は、塩釜市の多賀城総合体育館避難所で医師・看護師とともに巡回医療相談をおこないました。

  大きい体育館の中に段ボールで間仕切りをしたスペースで生活をしておられます。割と背の高い間仕切りにはなっているが、大人が歩くと中は丸見えになります。プライバシーがなく、そのストレスは計り知れません。
 震災から2カ月半たったのに、被災者の方はいまもこういう生活であることに驚き、阪神・淡路の時も同じだったことを思い出しました。

 医師、看護師とセットで回り、いらっしゃる方に「お体の調子はいかがですか」と声をかけていき、血圧、酸素濃度、体温を測り、話を聞きました。この体育館は2階もあり、3つのチームでおこないました。

  約300人の 方が避難生活を送っていますが、日中は仕事、学校、家の片付けに出ている方が多く、残っている方は少しです。調子が悪くて寝ている方もいれば、夜間に眠れず日中に睡眠を補う方もいるといいます。

 私たちのチームは、そのうち10世帯20人近くと話ができました。
 「体は元気ですよ」という方もあれば、「もうそろそろお薬がなくなるんだけど、病院まで行くのが大変」という方も。血圧が上がっている方も多い。
 ある人は、「家には片付ければ戻れるんだけどなかなか進まなくて。それに冷蔵庫や洗濯機、風呂釜なんかが全部だめになって、入れ替えのために注文しているんだけど、納品が2か月も3か月も先になるって言われているから帰れない。この避難所で最後まで残ったらどうしようと不安になる」といいます。この声に政治は応えないといけないと思います。 

 驚いたことに、寝たきりで動けない方もここで暮らしていました。段ボールを重ねてベッド状にして、その上に、最近ようやく介護保険で供給されたという除圧マット(床ずれしないための介護用マット)を敷いて横になっておられました。娘さんが介護していましたが、要介護の方がいまもこういう避難所で生活していること自体あってはいけないことです。

 それから、り災証明書の発行が役所で拒否された人、仮設住宅に当たったけど引越しする人手がない人など困っている方がおり、いっしょに役所にいくなど具体的な解決策を決めました。

 子どもさんがいるご家族で壁に時間割表が貼ってあったのが、何とも辛かったです。

 
 午後は夜に備えてフリー。病院のご厚意で車を2台借りて、被災地の視察。津波の被害のひどかった沿岸部、七ヶ浜に行きました。がれき撤去が入っているが、地域が広すぎて遅々としてすすんでいません。(写真は5/29アップの分以外)

現地の方によるとここは両方から津波が浸入してきたという。
まだ海水がひかない

建ちだした仮設住宅。神戸の震災後を思い出す。厳しい夏そして冬を迎える。
決して神戸のように悲しい孤独死を出してはいけない

津波に襲われたビニールハウス

  
 同日5/25(水)夜は、多賀城文化センター避難所に行き、医療相談。診療ブースにいて、医師の診察に見合うOTC(市販薬)を選んで投薬をしました。風邪症状が多かったです。

避難所の医療ブースで一緒に調剤に従事した青森民医連の太田薬剤師
    
 手が空いたときに、足浴コーナーで足湯をしてもらっている人の肩もみをしながら、被災時の様子を聞いたりもしました。
 私と同じくらいの子どもさんがいる女性から、「揺れがひどかったし、津波が来た時には、日本全体が沈没したと思った。職場が流され家も流された。小学生の娘に家がなくなったことを伝えると、泣きながら『そんなこと言わないで』と言われた」と聞き、胸が詰まりました。自分の家がなくなった、受け入れ難い過酷な現実…。
 そんな中、避難所の小学生の女の子達が、自ら足浴チームに入り大人の足湯をしてあげている姿がありました。自らも被災して、避難所から通学して大変なのに、少しでも喜んでもらいたいと無心に足のマッサージをする姿に心を打たれました。


呼び込みのために小学生の女の子たちが作ったパネル。


2011年5月29日日曜日

被災地支援報告①

 5/27(金)の夕方、宮城県から帰ってきました。

 自分の目で見て、改めて今回の震災の規模の大きさを実感しました。

 兵庫県として何ができるか、の検討は今後深めていくとして、何回かに分けて支援期間(移動日を除けば実質2日間でしたが)の活動報告をします。

 私が今回行ったのは、宮城県塩釜市にある民医連加盟の坂総合病院。東北新幹線仙台駅から仙石線に乗り換え、下馬駅というところの目の前にあります。この坂総合病院を拠点にして支援活動にあたりました。
 坂総合病院は、大正元年(1912年)私立塩釜病院として創設以来80年余の歴史をもち,塩釜市を中心とする二市三町(多賀城市、七ヶ浜、利府、松島)と仙台市東部地域を合わせて人口25万の地域を診療圏とする中核病院です。救急車搬入は年間約2500件にのぼり、全県的役割を 担っています。

仙石線下馬駅から見た坂総合病院

同じく下馬駅から望む。所々ブルーシートを掛けた家がある

 坂総合病院の周辺は、被害はそれほどなかったとのこと。

 24日到着後、ミーティングまで少し時間があったので、津波の被害がひどかった七ヶ浜に行きました。


傷跡が生々しい。元は田畑。流されてきた家がそのままに
  










周りは津波にさらわれたが辛うじて残った家。2階まで津波が到達している

 





 

 

  
 


住宅や田畑があったところ。気が遠くなるような惨状
 

報道でよく目にする光景。海岸から少し離れた所なのに流されてきている

加工場に乗り上げた船。まだ移動・撤去されていない
 


 とにかく、この大震災からの復旧、復興は、国と自治体、そして国民をあげて取り組まなければならないことを、肌身で実感しました。
 塩水漬けになった田畑の塩抜きをし圃場をした上で農家に返すなど、マイナスからではなく、ゼロからの再出発ができるように国は援助すべきです。
 次回から具体的な支援活動の報告をします。


 帰った日の夕方には、兵庫県行政書士会の第53回定期総会の懇親会に、ねりき恵子議員と参加しました。大人数で圧倒されました。
 日本行政書士会連合会の北山孝次会長のあいさつで、350円/台の廃車手続きを、被災地では無料で行っていることを知りました。被災地3県でおよそ40万台あるとのこと。このように、それぞれの立場でできる支援をすることが今本当に求められていると思いました。

2011年5月24日火曜日

海のそばに県立病院移転

 先日、県立淡路病院の移転問題に関して、淡路の市・町会議員さんが県庁に来られ、県病院局に要望書を提出し、申し入れをされました。 私も同席しました。

 要望の趣旨は、東北の大津波を受けて、洲本市の海岸沿いに移転が決まっている県立淡路病院の移転計画をいったん凍結させ、防災対策などの再検討を、というものです。

 東北沖の甚大な津波被害を受け、井戸知事は、東南海・南海地震が起きた場合、神戸・阪神間の津波の高さが最大2・5mという想定をはじめ防災計画の見直すと言っています。
 ところが、同病院の移転は、東南海・南海地震で洲本市の津波の想定は最大2・1mという従来の防災計画が前提になっています。
 ですから、今回の要望はごく当たり前の事ではないでしょうか。

 しかし、病院局の幹部は、
 「(従来の計画は)万万が一のシビアな想定で、立地も含め災害にも耐えうる計画になっている」
 「Q.M8・5の想定だが、今回のような9クラスの揺れが来る可能性もあるので見直す必要があるのではないか←この周辺にはプレートはないから、その想定はほとんど必要がない」
 「Q.海岸沿いに立つということで住民の間に 不安が広がっている←もし和歌山沖で津波が起こり北上してきたとしても、紀淡海峡を境に拡散されるから、津波被害は甚大なものにはまずならない。津波の映像を見てみんなヒステリックになっているが、冷静になってほしい」
 「Q.想定されている津波の高さの見直し作業が始まっていると思うが、その結果を待つべきだと思うが→変化があればそこから手直しをすればいい。いま計画を停止すれば契約から何から1から始めることになり、多額の損失になる」

 議論はどこまでも平行線でした。
 知事が従来の想定や計画を見直すといっっているのに、実際の県の事業は従来の想定・計画のまま強行し、それで安全と言い張るとは!

  「15万人の島民の命がかかっているんですよ。実際に起きるとそんな10数億円の損失ではすまない」と洲本の市会議員さんがおっしゃっていました。私もその通りだと思いました。
 
 津波の想定など防災計画を見直しているんだったら、それを待つべきだし、何より住民の方の不安を払拭できるよう、誠実に対応すべきです。十分な説明もなく〝大丈夫です、冷静に〟と言われると余計に不安になると思います。

 議会でも引き続き問題にしていきたいと思っています。

 いま東北へ向かっています。がんばってきます。

2011年5月19日木曜日

新任議員説明会

 今日は表題の新任議員説明会がありました。14名の参加でした。

 選出地域は兵庫県下のいろんな地域に渡り、年齢も略歴もいろいろです。
 立場は違っても、県民生活が少しでもよくなるように、個々の案件で共同関係を追求できたらと思いました。

 説明の中で一つ驚いたのが、議会での質問時、物を持ち込んだらいけないというきまりです。

 今は国会はもちろん、神戸市議会でも、日本共産党に限らず他の政党も、口頭だけでなくグラフや表などのパネルを示して質問をしているんですよね。
 私も自分の時はパネルを作って質問をしようと思っていたので、「えっ!」と驚きました。理由は、議会は言論の府だから、だそうです。
 口頭の内容をイメージ豊かに認識するための補足、補完の役割がこういった視覚に訴えるものにはあると思うんです。
 ですからこの決まりには、絶対納得いかない。何とかしたいと思います。

パネルを示して質問する吉井英勝議員=4月26日、衆院予算委
これって今や普通の光景ですよね

2011年5月17日火曜日

東北へ

 来週24日から27日まで、被災地の支援へ行ってきます。

 3.11以降、救援募金に取り組んできましたが、現地でも被災された方がたの手助けをしなければと強く思っていました。
 東神戸病院からの支援活動の一員として、宮城県の塩釜市にある坂総合病院を拠点に、避難所訪問などをする予定です。

 少しでも役に立つため、精いっぱいがんばってきます。

 そして、今被災地でどんな支援が必要とされているのかをしっかりとつかんで、6月から始まる議会で提起していきたいと思います。

2011年4月30日土曜日

公立病院統廃合

 私の母校・神戸薬科大学にごあいさつにうかがった際の話を少し。

 学長先生から、「これからぜひがんばって下さい」と大いに励ましていただきました。

 そのなかで、薬学生実務実習に関連して、県の「行革」で公立病院統廃合がすすんでいることにより、未来の薬剤師を育てる薬学生実習の受け入れが困難になっていることを訴えられました。
 まさに県政の課題です。

 東日本大震災の被災地では、公立病院の統廃合で災害時医療の拠点としての役割が果たせなかったことが問題になっています。
 命を守る部門に「効率」という尺度はなじみません! 
 

 また先日、日本共産党県会議員団の初顔合わせがありました。
 といっても、もちろん知っている方ばかりですが。
 私以外は皆さんベテラン。安心してがんばれます。

2011年4月29日金曜日

あいさつ回りの日々

 県会議員選挙(いっせい地方選前半戦)が終わって、はや20日近く。お世話になった方々へのあいさつ回りをずっと続けています。

 選挙活動のお手伝いをしていただいた方、ポスターを貼らせていただいた方、まわりに支持を広げて下さった方等々、いろんな形で力を貸して下さった方々に、お礼の気持ちをぜひきちんとお伝えしたいからです。

 それに、「しんぶん赤旗」の記者である夫から、「『選挙が終わったら全く来なくなった』『当選したとたんに偉そうな態度になった』という有権者の声をこれまでたくさん聞いた」と言われていたので、そんな議員には絶対なるまいとも思い、あいさつ回りにがんばってきました。

 しかし、これが半端じゃなく多い。
 共産党の人たちはもちろんですが、共産党員でない方々からの応援が本当にたくさんありました。私が知っているだけでも。さらに、党支部の人たちのよびかけにこたえて協力していただいた、面識のない方々がいます。

 なので、いつまであいさつ回りが続くのだろうかと少し心配しながらも(^_^;)、本当に多くの人たちに支えてもらったんだなあと、改めて実感しています。 

 「きださんがバンザイしている写真を朝日新聞で見て、私もバンザイしました」という女性の方。
 「僕は別の党の党員やけど、おめでとう」と花を手渡していただいた男性の方。
 「中学卒業まで医療費が無料になる日まで(なってからも)、応援を続けます」というメールをくれた子育て中のお母さん。
 「こんなにうれしいことはない」と言って大泣きされた男性の方……。  
  
 相手の方々から、たくさんのお祝いや喜びの声をかけていただきました。
 前書いたようにこの場でお礼は言えないのですが、とにかく感謝の気持ちでいっぱいです。と同時に、この期待にこたえて頑張るぞ、という思いも一段と高まっています。

2011年4月27日水曜日

後半戦

 更新が久しぶりになってしまいました。

 24日はいっせい地方選の後半戦の投票日で、一般市と町村の選挙がありました。

 私も応援に入った芦屋市議選では、共産党の3候補が全員当選! 1議席増になりました。
 
 私の活動はというと…。

 先週、木野下あきら議員の演説会で応援弁士をさせていただきました。応援弁士なんて初めてなので、とても緊張しました。
 木野下さんは、「実直・誠実・さわやか」な人。そして様々な実績を持ってらっしゃる人。絶対に通っていただかないと、と思っていましたのでよかったです。

 森しずか議員の宣伝カーのアナウンサーもしました。時々「きだ結です!」と言いそうになりながら…。
 森さんも、とても素敵な方です。私の同僚の友人でもあり、「いい人よ」と聞いていたので、会う前からとっても親近感を持っていました。4人の子どもさんを育ててこられた子育ての先輩でもあります。夫の方の森さんにも大変お世話になっています(最近迷惑をかけましたが)。

 そしてベテランの平野貞雄さんが返り咲き、めでたく全員当選になりました。


 また、当ブログにコメントを寄せてくれた、明石の西川あゆみ候補も初当選しました!
 西川さんは昔からの知り合いで、私と同じく小さい子どもがいる子育て中のお母さんです。
 あゆみちゃん、おめでとう!


 それにしても、木野下さんも森さんも、自分の選挙の真っ最中だというのに、私を見るや「おめでとう。よかったですね」と、私の当選をとても喜んで声をかけてくれました。
 本当に立派で、いい人たちです。
 こういう議員にならなければ、と思います。

2011年4月13日水曜日

審判

 10日の投票から、ご報告が大変遅くなりまして申し訳ありません。
 
 結果は皆さんご存じの通り、何とかすべり込み、2位で当選しました。

 投票いただいた1万1282人の方々をはじめ、支援していただいた方々、当ブログやメールニュースの読者のみなさんに、心から感謝申し上げたいのですが、こういうネット上で当選のお礼はダメという、市民常識とかけ離れた法律のために、「お礼」ではなく「報告」とさせていただきます。

 9月20日の立候補表明から7カ月近く。私にとって、体験したことのない激動の日々でした。うれしいことつらいこと、感動したこと…いろんなドラマがありました。

 私の原動力となったのは、多くの有権者のみなさんからの熱い期待でした。それは軽いものではなく、しぼりだすような思いを託されたというか。

 何度か紹介しましたが、
 「年寄りは取られるばかりで、長生きしても何もええことない。少しでも変えてほしい」という高齢者の方。
 「医療費を気にして、子どもが怪我をしても病院に連れて行くのをためらってしまう。親として情けない」という子育て中のお母さん。
 「なぜ神戸だけ中学校給食をやらないのですか」と真顔で怒るお母さん。
 …などの声をたくさんの人から聞き、そのつど「がんばってほしい。頼む」と言われました。

 「小さな子どもがいる女性が頑張っている姿に共感します」という声も多く、この期待も前に書いたように根が深いものです。

 こうした切実な思いを絶対に裏切るわけにはいかない、願いにこたえて絶対に勝たなくては、といつも思ってやってきました。

 そして当選できたのは、たくさんの方々の絶大な支援のおかげです。それに尽きます。
 本当に本当にうれしく思っています。言い尽くせないほどです。


 さあ、これからが本番です!

 訴えてきたことを実現するのは、いよいよこれからです。頑張ります! そして被災者の支援を急がなければ。やることはいっぱいですが、まったく自信がありません。
 でも、1万1282人の方々が期待を寄せていただいたことを胸に刻んで、この間お聞きした声を思い出し、これからも住民の皆さんの声を聞くことを忘れなければ、大きく外れることはないかなと思います。
 といっても、いまはあいさつ回りに忙殺されていますが。

 子育ても頑張ります。

 なんにせよスタートです。厳しいご指導をよろしくお願いいたします。(ご支援もいただければうれしいです) 

当選が決まって支持者のみなさんとバンザイする、(前列右2人目から)松本市議、私、西市議=11日午前零時すぎ、東灘議員事務所

2011年3月31日木曜日

いよいよ

 いよいよ明日が県議選・市議選の告示です。
 10日間のたたかいです。

 立候補表明した9月からここまであっという間でした。子育て中のお母さんたち、高齢者、現役の勤労者、若い人…多くの人たちから「今の暮らしは本当に大変。何とかしてほしい」という声を聞きました。本当にたくさんの方に応援していただき、それを力にがんばってきました。
 そして東日本大震災と原発事故。被災した人たち、原発の周囲に住む人たちの苦しみが少しでも軽くなるように、募金を集め、必死に訴えてきました。

 明日からの10日間は、私にとっては、9月以来の活動の総決算となります。文字通りラストスパートをかけ、何としても勝ち抜く決意です。

 明日からブログの更新もできなくなりますが、ご支援のほどよろしくお願いいたします。

 

 

 

ブログ修正しました。

 実は、2日前にブログを少し修正しました。

 右の欄の「政策・提言」コーナーに、私の政策「きだ結が実現したいこと」をアップしました。最新の政策です。ぜひご覧下さい。

 「東日本大震災・原発問題」のコーナーも設けました。日本共産党の情報ページ、志位さんの訴え、吉井衆院議員のメッセージのリンクですが、情報が豊富で、共産党の考えや行動もよくわかります。
 吉井さんのメッセージの中にある2006年3月1日の国会質問は、地震と津波のため福島原発で今回のような事故が起きる危険性を警告していたもので、ネット上で大きな反響を呼んでいます。

 冒頭のあいさつ文も変わりました。


 昨日、地元の渦森台の住民有志の方々が、「きだ結さんを囲んでの地域懇談会」を開いて下さいました。
 催して下さったのは共産党ではない人たち。崖崩れが起きているなど地元の問題から、東日本大震災、原発、民主党論まで、みなさんのお話が大いに盛り上がりました。私もしっかりとお話しました。
 そして、みなさんから 「渦森台の住民の力で、地元の代表を県政に送りだそう」と言っていただきました。

 大感謝です!絶対に勝ち抜きます。

2011年3月28日月曜日

私の基本的な姿勢

 日本共産党は23日に、「被災者支援、いっせい地方選勝利全国決起集会」を開き、この2つの大問題にどう臨むのかを決めました。

 全国の力を総結集して救援にあたるべきときに全国的選挙をやることに共産党は反対しましたが、決まってしまいました。
 志位さんは、そのもとで、党として被災者支援に総力を挙げるとともに、選挙戦でもこの立場を貫き、選挙戦全体を全国民の力で救援・復興をやりぬき、戦後最大の国難を打開し、それを通じて新しい社会をつくる契機にしていくという姿勢でとりくみ、勝利・前進をめざす、と述べました。(志位委員長の報告全文)

 私もこの会議を受けて、選挙と東北大震災との関係が大体整理できました。
 それは、震災の救援・復興をどのように成し遂げるのか、そこで日本の政治が果たすべきことは何なのかを選挙戦で提起し、国民的合意をつくって、救援・復興を大きく前進させていくということだと思います。
 共産党は、「救援・復興選挙」と呼んでいます。

 選挙で提起する、救援・復興と政治の役割を以下のようにまとめました。選挙にのぞむ私の基本的な姿勢と思っていただいて結構です。長くて申しわけありません。


 未曽有の大災害のもとで4月1日から県会議員選挙・市会議員選挙が始まります。この選挙で何が問われるでしょうか。

★国をあげて救援・復興を
 何よりも、国と全自治体、全国民が総力を挙げて、東北大震災の被災者救援と復興にとりくむことです。
 いま、避難所に避難された方が過酷な環境のなかで次々と亡くなっています。阪神・淡路でもあった2次災害です。せっかく助かった命を落とすことは何としても食い止めなければなりません。被災者全員が住める仮設住宅もすぐに必要です。
 
 そしてこれからの復興を考えると、家を失った被災者への個人補償の抜本的な拡大がどうしても必要です。一人ひとりの生活の再建と地域社会の再建があってこそ復興です。
 これは阪神・淡路大震災で、当時の政府から「個人補償がはできない。生活再建は自分でやって下さい」と自己責任を押しつけられた私たちがさんざん苦労してきたことです。国から見捨てられて多くの人が絶望し、生活や営業を立て直せずに孤独死や自殺する人が続出しました。一方で神戸空港の建設には大金がつぎ込まれました。こんなことは絶対に繰り返してはいけません。
 阪神・淡路からの粘り強い運動で被災者生活再建支援法ができて、いま全壊の人で住宅再建に300万円支給されるようになりましたが、300万円では家は建ちません。大幅に引き上げなくてはいけません。
 ほかにも、お店や事業所、農林漁業への手厚い補償と支援、インフラの復旧など復興には様々なことが必要です。日本共産党はその財源として、2兆円もの大企業・大資産家減税をやめることなどとともに、「復興国債」を発行して、244兆円ものため込み金(内部留保)をもつ大企業に引き受けてもらうことを提案しています。

★原子力政策、エネルギー政策の抜本的転換
 2つ目に、原発の問題です。
 福島原発の危機を何としても封じ込めなくてはいけません。そのために日本共産党は、専門家集団である原子力安全委員会に権限を集中するなど専門家、技術者の知恵と力を総結集して対処することを強く求めています。

 いま原発の怖さが誰の目にも明らかになっています。アメリカではスリーマイル島の原発事故で「原子力は安全という思い込みがあった」と反省し、「原子力は本来的に危険なものだ」という考えに切り替えました。これはいま世界共通の認識です。
 日本もその立場で、全国の原発の総点検、東海地震の震源域にある浜岡原発の停止、プルトニウム利用の核燃料サイクルの中止をはじめ、安全最優先の原子力行政に転換すべきです。

 そして、原発依存から脱け出して、太陽光や風力、地熱、バイオマスなど自然エネルギーへの戦略的な転換を図るべきだと訴えたい。ドイツでは、すでに発電量の16%を自然エネルギーでまかなっています。2050年には80%にする計画を実施しています。日本もこの道をすすむときだと思います。

★防災・子育て・福祉再優先の兵庫へ
 選挙で問われる3つ目は、兵庫県政の問題です。
 まず訴えたいことは、ま県の防災計画では、予想される東南海・南海地震の際、神戸を襲う津波は高さ2・5メートルを想定していることです。東北で起きた現実にまったく合っていません。こんな防災計画では、東北並みの地震と津波が起これば神戸の市街地は甚大な被害を受けてしまいます。ただちに防災計画を抜本的に見直すことを求めます。

 それだけでなく、災害から県民の命と暮らしを守る政治が本当に求められています。これは、阪神・淡路大震災を体験した県ですから当然です。
 ところが、県は「行革」だと言って県民の安全や暮らしに直結する部門や職員を減らしてきました。
 1昨年の新型インフルエンザ騒動のとき、保健所と保健師さんが大幅に減らされていたため、行政がまずここに電話してくれと言っていた発熱相談センターに電話してもまったくつながらず、熱が出たり、インフルエンザかもしれないのに医者にも行けないという事態が広範に起こりました。
 また、公立病院を統廃合して減らしていってます。消防の職員は国の基準の7割しかいません。
 再び災害が起きたとき、こんなことで住民の命を守れるのでしょうか。

 福祉の面ではどうでしょうか。
 私達は「子ども署名」と「いきいき署名」で、中学卒業まで子どもの医療費の無料化、高齢者の医療費負担軽減、国民健康保険料の引き下げなどを訴えています。災害が起きたときは特に、何の遠慮もなく医者にかかれなければダメです。阪神大震災のときは被災者が立ち直っていないのに窓口負担の無料措置や国保料の特別減免が1年で打ち切られ、多くの人が大変苦しみました。そんなことを繰り返さないように、普段から無料化や負担軽減措置を実施しておくことが大事ではないでしょうか。
 それから、全国では当たり前の中学校給食を神戸市はやっていません。これでは災害が起きた時、中学生の食を保障できるでしょうか。不自由な避難生活をしているお母さんにお弁当を作れというのでしょうか。

 災害から県民の命と暮らしを守るためには、普段から県民の福祉や子育て支援、安全を守り充実させておくことがとても大事だと思います。
 ですから私は、東京をはじめ全国で広がり兵庫でも西宮市、小野市、相生市、赤穂市、たつの市、福崎町で実現した中学卒業までの医療費無料化、全国の公立中学校の81・6%で実施されている中学校給食、さらに国民健康保険料引き下げなどを、これからも強く訴えてまいります。

 阪神・淡路大震災のとき、共産党が全国からかけつけて被災者救援と生活再建にがんばったことを覚えておられる方もいらっしゃると思います。今回も、現地の救援活動をおこなうとともに、全国的に救援募金に取り組み、3億円以上集まっています。
 県政でも共産党は、「子ども署名」「いきいき署名」を集めるなど県民とともに一貫して福祉充実のために頑張り、子どもの医療費助成を拡充し、小4まで少人数学級などが実現しました。知事のやることに100%賛成で福祉と安全を削ってきたのが自民、民主、公明のオール与党です。みんなの党はもその一員で、神戸市議会で中学校給食実施に反対しました。
 
 みんなの力で、東灘から東日本大震災救援・復興の大きなうねりを起こしましょう。防災・子育て・福祉最優先の兵庫県政に変えましょう。
 そのために私、きだ結は必ず勝ちぬく決意です。

2011年3月21日月曜日

選挙

 書くのが遅くなりましたが、いっせい地方選挙が被災地の岩手、宮城、福島の3県だけが延期され、全国的には予定通り行われることが決まりました。

 日本共産党は、戦後最悪の被害となった東北大震災で被災者の救援と復興には、政府はもとより、全国民、全自治体の力を結集してあたらなくてはいけないことなどから、いっせい地方選の全国的な延期を提起しました(志位委員長の会見)。
 しかし、残念ながら各党の合意にならず、実現しませんでした。

 なので共産党はいま、救援・復興の活動と選挙戦の両方に全力を尽くすという立場です。

 私も救援募金をはじめ被災者支援活動を引き続きしながら、選挙活動をすることになります。

 選挙では、被災者支援と復興をどうするのか、そして原発の問題を大いに訴えなくてはと思っています。
 何よりも、災害から住民の命と暮らしを守る兵庫県に変えることが大事です。そのためには防災対策を抜本的に見直すこととともに、普段から医療や福祉、安全の環境がしっかりしていなければいけません。
 公立病院や保健所が減らされ、消防の職員が国の基準より200人も少ない(神戸市)といった現状では、災害が起きたとき命を守れるのだろうかと思います。1昨年のインフルエンザ騒動のとき、保健所と保険師が減らされていたせいで、熱やせきが出た人が指定の発熱相談センターに電話してもつながらず、インフルエンザ対応が機能しなかったことを思い出します。
 子育て支援の抜本的な充実も欠かせないと思います。中学校給食がなくて災害時に生徒の食の保障ができるでしょうか。つめこみの保育所や少人数学級でない学校は子どものストレスがたまりやすく、被災した子どもたちにふさわしいでしょうか。
 ということで、引き続き子育て支援の問題も取り上げたいです。

 残り期間もわずか。頑張ります!

今日も各所で救援募金をよびかけました。これからも続けます!

2011年3月19日土曜日

被災1週間

 東日本大震災の犠牲者が18日で6911人になり、ついに阪神・淡路大震災を超え、戦後未曾有の規模になりました。
 
 避難所などでまともな生活ができず医療も受けられないなか、体調を悪化させて亡くなる関連死も起きてきました。阪神・淡路でさんざん体験したことです。
 地震と津波に遭ってせっかく助かった命が…。やり切れない思いです。

 原発事故も、危険度がスリーマイル島と同等のレベル5と判定されました。

 被害は拡大するばかり。救援を待つ人が山のようにいるのに、支援の手が及んでいません。焦りを覚えます。
 自分にやれることをしっかりやることが大事なんだと言い聞かせ、今日も街頭で救援募金を訴えています。

 そんななか、今日の「しんぶん赤旗」1面に、避難所になった岩手県宮古市の小学校で卒業式が行われたという記事が載っています。
 各地で卒業式が中止されるなか、学校と保護者、避難の人たちが話し合い、「子どもたちが希望を持って未来に向かってすすんでほしい」と、あえて実施したそうです。
 先生や避難の人たちが手を合わせてつくったアーチをくぐり、みんなの拍手で送り出される、少し気恥ずかしそうな子どもたちの写真…。
 
 こみあげてきました。 

2011年3月15日火曜日

「安全神話」

 福島第1原発の事故で、ついに、人体に影響あるレベルで放射性物質が流出しはじめました。

 原発の「安全神話」は完全に崩れ去りました。
 安全性は確立していないという多数の警告を無視し、安全だと言い張って建設を強行してきた、歴代の自民党政権と電力会社の責任はとてつもなく重い。

 民主党政権もそれを踏襲し、温暖化対策と言って原発推進政策をとってきました。
 そして、今回の事故に関する菅首相と枝野官房長官の説明は、〝人体に影響はない〟というばかりで、「安全」を強調するものでした。電力会社の言い分を代弁していただけかと疑いたくなります。

 今後、日本は脱原発へと政策転換が求められると思いますが、いまはとにかく、これ以上の被害を止めることと、住民の皆さんの安全を祈るばかりです。

 
 今日も早朝から募金活動にとりくみました。出勤前の忙しい時間にも関わらず、多くの方が応じてくださいました。
 引き返してきて募金箱にいれていただいた方、小銭入れをひっくり返して全部入れてくださった方、中学生とおぼしき女の子、そして、電車から降りてきた小学1年生位の女の子が迷いなくまっすぐ近づいてきて小銭を入れてくれた時は、思わず涙が出ました。


 そして、昼に東京の石原知事の暴言を知りました。
 「大震災は天罰」「我欲を津波で洗い落とせ」。もう言葉もありません。 

 この人に、人間の心を期待する方が間違っているのでしょうか。

2011年3月14日月曜日

阪神以上の支援を

 犠牲者が万単位になるという予測が出てきました。かなり現実味を持って。

 そうなると、死者・行方不明者が10万人を超えた関東大震災(1923年)以来の大惨事になります。そして、戦後最大といわれた、犠牲者6464人の阪神・淡路大震災を上回る被害になります。

 私は、阪神を上回る自然災害というのはもうないだろうと思っていたので、衝撃を受けています。あの大惨事よりももっと多くの人が亡くなり、もっと多くの人が苦しんでいるとは……。

 阪神をはじめ、その後も中越大地震や豪雨、噴火など大災害が何度も起こっているので、さすがに防災対策はすすんでいるだろうと漠然と思っていました。
 今回のような巨大津波というのは例がなかったかもしれませんが、日本は〝地震列島〟であり、大地震(震源地が海の場合特に)が津波を引き起こすことは当然のこと。今回のような地震を予測して津波対策を取れなかったのかと痛切に感じます。
 また、大問題になっている原発にしても、専門家が警告していたにもかかわらず、耐震設計の基準を専門家の指摘よりも低い震度に設定して建設されたと、テレビで報道されていました。

 しかしいま必要なのは、一刻を争って、一人でも多くの命を救うこと、生き残った人たちを助けること。
 阪神以上の被害だとしたら、義援金ももっともっと必要でしょう。阪神のときでも、全国からかなり寄せられたのに、被災者1人ひとりに渡った額は全壊の人で20数万円で、他の災害より桁違いに少なかったものでした。

 すでに全国の人たちの支援の動きが広範に始まっていると聞きます。
 共産党は、地震が起きた11日にすぐ、すべての党組織、党員にたいし救援活動にとりくみことをよびかけました(呼びかけ文はこちら)。
 民主医療機関連合会(民医連)もただちに現地の医療支援活動を始め、私の職場の東神戸病院からも看護師さんらが12日に現地に向かいました。
 私は今日も、早朝から街頭で義援金を呼びかけています。

 阪神のときを上回る全国からの支援を願わざるをえません。  

2011年3月13日日曜日

気持ち届けたい

 地震の名称が「東日本大震災」になりました。

 すさまじい津波、がれきの山となったまち・・・「自然と人間との原初の関係」をまざまざと見せつけられました。同時に、もしもの備えにあらゆる手立てを尽くしていたら、もう少し被害を抑えられていたのではと思わずにおれません。

 昨日は、摂津本山、住吉、青木駅前、コープリビング前などで救援募金(義援金)をよびかけ、たくさんの方から合計約50万円も寄せられました。 

 阪神・淡路大震災のとき、全国の方々から寄せられた義援金がどれほど励みになったでしょう。たくさんの人たちの温かい心に触れたことがとてもうれしく、元気が出ました。そんなことを思いながら、訴えました。今度は私たちの気持ちを届けよう、と。

 今日も訴えます。当ブログをご覧のみなさまも、私や松本、西市会議員の募金活動を見かけたらぜひご協力ください。

 さまざまな救援物資も必要ですが、それらを集めて被災地に送るにはまだ体制が整っていません。早めに実施できればと思います。

松本のり子市会議員(左)ととともに呼びかけているところ

2011年3月12日土曜日

東北地方太平洋沖地震

 国内最大の地震。
 知ったのは夕方で、夜、家に帰ってテレビをつけると惨状が映し出され、固唾を飲んで見続けました。

 街、人家、田畑を飲み込む想像を絶する巨大津波、火の海になった街、・・・津波はなかったものの、否応なしに16年前の阪神・淡路大震災の光景がよみがえってきます。

 死者数は増えるばかり。今私に何ができるか、何をしたらいいのか、必死に考えています。

 でもとにかく朝から街頭へ出て、救援募金を訴えます。

 16年前に全国の人たちに助けてもらった阪神・淡路の被災者として、今度は助ける番です。

大演説会

 10日(木)は、神戸文化ホールにて、志位委員長を招いて大演説会でした。

 1800人近くの人が聞きにきてくださいました。子育て仲間や、職場関係の病院の方も来ていただいて、本当にうれしかったです。

 冒頭、JALの不当解雇されたパイロットの方の訴えもあり、「沈まぬ太陽」を思い浮かべながら、その闘いに心から共感しました。

 その後、私が決意表明をしました。こんなにたくさんの方々に期待を寄せられている、どうしても議席を勝ち取らなければと、強く訴えました。


候補者の方々を代表して決意表明しました
 
 そして、志位さんのお話です。JALの整理解雇が、どんなに不当でしかも空の安全を脅かすものか、経済の問題では消費税増税に頼らず国の税収を上げ、経済成長を勝ち取る日本共産党の提案、外交の問題では、相手が誰であれ世界で通用するのは「「従属」でも「武力」でもなく「外交力」であること、などなど。

 本当に、この方向で国の政治を変えていったら、もっと明るい未来が開ける。地方から変える先頭に立たなければと、決意を新たにしました。

語る志位さん。元気が出ました


満員の客席からたくさんの拍手


 PS.
 ……実は私の決意表明は大分緊張しました。こんなに多くの人を相手に話したことはなかったので。
 終わってから、来てくれたメールニュース読者で子育て中のお母さんにそんな話をしたら、彼女は「きださんのお話がいった
いどうなるのか、私も緊張しました」と言っていました(^_^;)。