2011年6月24日金曜日

初質問!

 終わりました、一般質問。

 原稿を作る段階で、選挙中にお聞きした声を反映することを意識したので、壇上ではそのことを思い出しながら、一つ一つの項目に集中しました。
 最初はさほど緊張はしなかったのですが、質問が終わりに近づき、答弁に応じて再質問が絞れるか??と逡巡していたら緊張してきました。1回目の質問が終わり、降壇した後からがヨレヨレでした(+o+)。
 
 答弁はというと……
 知事の原発に対しての認識は、昨日の神戸新聞でも見ましたが、こんな事態になっても、「原発が安全であるかないかは判断できない」から、福井の停止中の4基の再稼働を中止するとはいえない。
 国保料滞納による保険証取り上げは、差し押さえなどが増えているにも関わらず「適切に対応されている」、国保料引き下げのための補助の増額については「十分予算をつけている」。
 子どもの医療費助成については、「助成対象の年齢はトップクラス」←一部負担金の額、所得制限の基準など総合的みると、かなり負担は重い方。
 などなど。ほとんど新しい回答はありませんでした。

 改めて、要求実現のためには、議会でがんばって主張することと、地域での要求実現運動を盛り上げ、世論を作ることが大事だと痛感。それと同時に、議会での主張は他党の人も「なるほど」と思わせる理論展開、提案をすることが大事だと思いました。

 制限時間が迫り、再質問も絞らざるをえなかったのが残念ですが、いい経験になりました。
 
 
 

2011年6月21日火曜日

22日午後2時頃から一般質問

 前回の記事で、実は、明日22日の私の一般質問の時間を午後2時半頃からといったん書きました。その後、時間が早まって午後2時頃からになり、記事を訂正しました。

 チラシなどでは時間の訂正をお知らせしていますが、本ブログでもあらためてお伝えします。

 午後2時頃からです。傍聴に来られる方やインターネット中継をご覧になる方は、ご注意ください。

 それでは明日、がんばりまーす!

 

2011年6月15日水曜日

名実ともに県会議員に そして初議会・初質問

 11日に正式に県会議員になりました。
 選挙から2カ月もたっていますが、阪神・淡路大震災のとき特例で選挙が6月になり、それ以来、新県会議員の任期も6月からになったからです。
 兵庫県のホームページの中にある県議会のページが最近更新され、顔写真入りで載っています。これからは議員バッジもつけなくてはなりません(四六時中ではないですが)。

 身が引き締まる思いです。

 そして今日15日は議会開会日。初めての県議会出席となりました。
 しか~し、初っぱなにやってしまいました。議長選挙の投票用紙を壇上の投票箱に入れに行くとき、正面に向かって右から登壇しないといけないところを左から行ってしまいました。私が議席番号1番で、投票も1番なので、事前に議会事務局からルートに蛍光ペンを入れて説明を受けていたにも関わらず、です。しかも、議場がざわついている理由が自分とも知らずに(^^;)。
 そのせいで、次の民主党の新人議員の人も私と同じルートで途中まで進み、さらに議場がざわつきました。周りから指摘されて、引き返して正しい進み方で投票しましたが。
 正・副議長選挙の立ち会いもしました。

 そしてそして、22日の本会議で、共産党議員団を代表して私が一般質問をします!
 東日本大震災、原発問題、子どもの医療費無料化、中学校給食、国保料(税)引き下げ、借り上げ住宅からの被災者追い出し問題等々、いまの熱い焦点、選挙で訴えてきた諸問題をとりあげ、県知事に迫る予定です。

 その質問づくりに、いま悪戦苦闘中。先輩の県会議員の方々や県議団事務局のスタッフに多大な援助をいただいていますが、「間に合わないかも知れない」と焦る毎日です。
 でも、新人議員は誰だってこういうものだと開き直ってやっています。何よりも、選挙中も選挙後も寄せられた、たくさんの方々の期待と切実な声を胸に、やっとその声を議会に届けられるといううれしい気持ちもあります。
 がんばります!

 一般質問は22日午後2時頃から。多くの方々が傍聴に来ていただければ幸いです。インターネット中継もあり、録画も見れます(こちらから)。ぜひご覧下さい。

福井の原発を調査

 いつも、色々な出来事や報告の記事が何日も遅れてすみません。これからも遅れるかもしれませんが、ずうずうしく載せていきたいと思います(^_^;)。申し訳ありませんが、よろしくおつきあい下さい。


 8日は、兵庫県会議員団として、京都府会議員団、京都市・綾部市・舞鶴市の党議員団と合同で、福井県の若狭湾に立地する原発群の調査に行きました。「しんぶん赤旗」9日付に載っていますので、詳しくはこちらを。

もんじゅのPRセンターで佐藤正雄福井県議から説明を受ける。
前列奥から佐藤県議、宮田さん、ねりきさん、私、礒見さん。
 
 兵庫県議団からは、ねりき、宮田、いそみ県議と私の4人が参加しました。
 福井で原発事故が起きると、琵琶湖が放射能汚染され、琵琶湖を水源とする淀川から飲料水が供給されている神戸・阪神間にも甚大な被害が及びます。他人事ではありません!
 
 まず福井県庁で、地元のさとう正雄県議から報告を受けた後、県の原子力安全対策課長、危機対策・防災対策課長から原子力・防災対策について説明を受けました。

 午後は、美浜原発と高速増殖炉「もんじゅ」を視察。「もんじゅ」は15年前に冷却用ナトリウム漏れ事故を起こしています(ナトリウムは水に触れると爆発する危険な物質です)。どちらも活断層から1キロ以内に立地しています。

美浜原発です
 

美浜町はここにあります


福井に集中立地する原発。日本で一番の立地率

 それぞれのPRセンターで館長らは、「固い岩盤があるから地震がきても大丈夫」「CO2を出さないので地球温暖化対策に最も有効」などと説明していました。
 福島であれだけの事故が起きてもなお従来の見解や美化論を繰り返すとは…。「安全神話」にとらわれるとこうなるのかと思いました。

高浜、美浜、大飯各原発でこの地域の電力を担っているという図

もんじゅは厳戒体制。もんじゅに到達するには、専用のトンネルを通らないといけない。
もんじゅの全景が見える展望台からは写真撮影禁止

もんじゅの燃料

 もんじゅには、冷却剤として使っているナトリウムの扱いを学ぶ、“ナトリウム研修施設”があります。猛毒のプルトニウムを生みだし増殖させるだけでも危険なのに、特別の扱いが必要な物を冷却剤に使っているもんじゅは本当に危険です。

ナトリウムの火災実験。98度以上で融解、自然発火する様子。
空気中の水分にも反応するのでここではヘリウム(だったと思います)を充填している。


ナトリウム火災専用の消火剤、“ナトレックス”。主成分は炭酸ナトリウム。これを使っての消火訓練に各国からきているとのこと。兵庫県の消防署の訓練の様子も掲示してありました


 また、京都の浜田よしゆき府議のお話では、地元の行事で関西電力が、この期に及んでも「原発は安全」とアピールする子ども向けのパンフを子ども達に配っていたそうです。驚きました。


 ハードな1日でしたが、私の出身地の京都市内の議員さん、夫の友人である光永敦彦京都府議にも久しぶりにお会いできて良かったです。


 PS…今日は、今から初議会です。22日には初質問もあります。がんばります。

2011年6月9日木曜日

被災地支援報告③

 翌日5/26(木)午前中は、昨夜に引き続き文化センター避難所へ医療相談。診療ブースで待機して、医師の診察後処方箋が出た人に調剤してお薬をお渡ししました。

 この日は避難所で11時から森進一さん、二葉百合子さんらの激励コンサートがあるとのことで、診察に来られた人は3人と少なく、お部屋にもほとんどおられませんでした。
 この時ばかりは、被災者の方々(特に少し年配のお母さん達(^^))もウキウキされていて、私にも「お姉ちゃんも見に行こう!」と声をかけていただき、しばし皆さんと一緒に鑑賞させていただきました。 

ホールはどこも避難所となっているのでロビーで。2階と階段にも人がびっしり。
「おふくろさん」など3曲熱唱された森進一さん

 診療ブースに来られたある男性は、かかりつけ医の医院が再開され、避難所から通院できるようになったとのこと。
 その一方、ブースに毎日来ているという男性もいました。手持ちの薬が何の薬だったか判らなくなったり、安定剤がどこかにいってしまったなど、不安で時間内に何回も来られました。
 私も何度か対応しましたが、避難所内での対応だけでは限界があるので、坂総合病院のケースワーカーに担当してもらおうということになりました。

 お伝えするのが遅れましたが、下の写真にあるように、この避難所は間仕切りすらなく、段ボール箱を置いただけで生活スペースを作っています。床は畳のように見えますが、ゴザが敷いてあるだけ。プライバシーが全くなく、、固くて冷たい床の上の生活では、健康を維持するのは難しいです。

文化センター避難所

 さらにここでは、昼食は菓子パンとカップめんでした(下の写真)。避難所の食事は改善されていると報道されていますが、それは一部の話かもしれません。

前日に私が肩もみした女性。「これからお父さんと食べるの」とおっしゃってました。
 
 各避難所で空き時間に、愛知、奈良、高知など、自治体職員として支援に来られている方々にお話を伺いました。
 皆さん、「避難所で快適に過ごしてもらえるように自分達が清掃することなどは大事だけど、今からは避難所から出ていきこれからの生活ができるような支援をもっと強めるべきだと思う」「なかなか先が見えない」などとおっしゃっていました。

 いずれにせよ、避難所がある限り、医療・介護や生活面での人的支援はまだまだ必要であることを痛感しました。これから役所機能を回復させるためにも、息の長い各自治体からの職員(保健師さんなど)の派遣が必要だと感じました。
 
 2日間の支援活動でしたが、国や自治体、国民が総力で取り組む課題だということを改めて実感しました。
 自治体として兵庫県ができる支援、人的援助を強めることなど、議会で取り上げていきたいと思います。できるなら、またボランティアに行かなければいけないと思いました。


今回、支援活動にあたった全国の民医連の仲間です。
2列目の少し左側に私が写っています=坂総合病院内の支援センターで

神戸協同病院の石川先生(左)、道上先生(中)と私=坂総合病院前で
 

2011年6月7日火曜日

被災地支援報告②

 5/25(水)午前中は、塩釜市の多賀城総合体育館避難所で医師・看護師とともに巡回医療相談をおこないました。

  大きい体育館の中に段ボールで間仕切りをしたスペースで生活をしておられます。割と背の高い間仕切りにはなっているが、大人が歩くと中は丸見えになります。プライバシーがなく、そのストレスは計り知れません。
 震災から2カ月半たったのに、被災者の方はいまもこういう生活であることに驚き、阪神・淡路の時も同じだったことを思い出しました。

 医師、看護師とセットで回り、いらっしゃる方に「お体の調子はいかがですか」と声をかけていき、血圧、酸素濃度、体温を測り、話を聞きました。この体育館は2階もあり、3つのチームでおこないました。

  約300人の 方が避難生活を送っていますが、日中は仕事、学校、家の片付けに出ている方が多く、残っている方は少しです。調子が悪くて寝ている方もいれば、夜間に眠れず日中に睡眠を補う方もいるといいます。

 私たちのチームは、そのうち10世帯20人近くと話ができました。
 「体は元気ですよ」という方もあれば、「もうそろそろお薬がなくなるんだけど、病院まで行くのが大変」という方も。血圧が上がっている方も多い。
 ある人は、「家には片付ければ戻れるんだけどなかなか進まなくて。それに冷蔵庫や洗濯機、風呂釜なんかが全部だめになって、入れ替えのために注文しているんだけど、納品が2か月も3か月も先になるって言われているから帰れない。この避難所で最後まで残ったらどうしようと不安になる」といいます。この声に政治は応えないといけないと思います。 

 驚いたことに、寝たきりで動けない方もここで暮らしていました。段ボールを重ねてベッド状にして、その上に、最近ようやく介護保険で供給されたという除圧マット(床ずれしないための介護用マット)を敷いて横になっておられました。娘さんが介護していましたが、要介護の方がいまもこういう避難所で生活していること自体あってはいけないことです。

 それから、り災証明書の発行が役所で拒否された人、仮設住宅に当たったけど引越しする人手がない人など困っている方がおり、いっしょに役所にいくなど具体的な解決策を決めました。

 子どもさんがいるご家族で壁に時間割表が貼ってあったのが、何とも辛かったです。

 
 午後は夜に備えてフリー。病院のご厚意で車を2台借りて、被災地の視察。津波の被害のひどかった沿岸部、七ヶ浜に行きました。がれき撤去が入っているが、地域が広すぎて遅々としてすすんでいません。(写真は5/29アップの分以外)

現地の方によるとここは両方から津波が浸入してきたという。
まだ海水がひかない

建ちだした仮設住宅。神戸の震災後を思い出す。厳しい夏そして冬を迎える。
決して神戸のように悲しい孤独死を出してはいけない

津波に襲われたビニールハウス

  
 同日5/25(水)夜は、多賀城文化センター避難所に行き、医療相談。診療ブースにいて、医師の診察に見合うOTC(市販薬)を選んで投薬をしました。風邪症状が多かったです。

避難所の医療ブースで一緒に調剤に従事した青森民医連の太田薬剤師
    
 手が空いたときに、足浴コーナーで足湯をしてもらっている人の肩もみをしながら、被災時の様子を聞いたりもしました。
 私と同じくらいの子どもさんがいる女性から、「揺れがひどかったし、津波が来た時には、日本全体が沈没したと思った。職場が流され家も流された。小学生の娘に家がなくなったことを伝えると、泣きながら『そんなこと言わないで』と言われた」と聞き、胸が詰まりました。自分の家がなくなった、受け入れ難い過酷な現実…。
 そんな中、避難所の小学生の女の子達が、自ら足浴チームに入り大人の足湯をしてあげている姿がありました。自らも被災して、避難所から通学して大変なのに、少しでも喜んでもらいたいと無心に足のマッサージをする姿に心を打たれました。


呼び込みのために小学生の女の子たちが作ったパネル。