大きい体育館の中に段ボールで間仕切りをしたスペースで生活をしておられます。割と背の高い間仕切りにはなっているが、大人が歩くと中は丸見えになります。プライバシーがなく、そのストレスは計り知れません。
震災から2カ月半たったのに、被災者の方はいまもこういう生活であることに驚き、阪神・淡路の時も同じだったことを思い出しました。
医師、看護師とセットで回り、いらっしゃる方に「お体の調子はいかがですか」と声をかけていき、血圧、酸素濃度、体温を測り、話を聞きました。この体育館は2階もあり、3つのチームでおこないました。
約300人の 方が避難生活を送っていますが、日中は仕事、学校、家の片付けに出ている方が多く、残っている方は少しです。調子が悪くて寝ている方もいれば、夜間に眠れず日中に睡眠を補う方もいるといいます。
私たちのチームは、そのうち10世帯20人近くと話ができました。
「体は元気ですよ」という方もあれば、「もうそろそろお薬がなくなるんだけど、病院まで行くのが大変」という方も。血圧が上がっている方も多い。
ある人は、「家には片付ければ戻れるんだけどなかなか進まなくて。それに冷蔵庫や洗濯機、風呂釜なんかが全部だめになって、入れ替えのために注文しているんだけど、納品が2か月も3か月も先になるって言われているから帰れない。この避難所で最後まで残ったらどうしようと不安になる」といいます。この声に政治は応えないといけないと思います。
驚いたことに、寝たきりで動けない方もここで暮らしていました。段ボールを重ねてベッド状にして、その上に、最近ようやく介護保険で供給されたという除圧マット(床ずれしないための介護用マット)を敷いて横になっておられました。娘さんが介護していましたが、要介護の方がいまもこういう避難所で生活していること自体あってはいけないことです。
それから、り災証明書の発行が役所で拒否された人、仮設住宅に当たったけど引越しする人手がない人など困っている方がおり、いっしょに役所にいくなど具体的な解決策を決めました。
子どもさんがいるご家族で壁に時間割表が貼ってあったのが、何とも辛かったです。
午後は夜に備えてフリー。病院のご厚意で車を2台借りて、被災地の視察。津波の被害のひどかった沿岸部、七ヶ浜に行きました。がれき撤去が入っているが、地域が広すぎて遅々としてすすんでいません。(写真は5/29アップの分以外)
現地の方によるとここは両方から津波が浸入してきたという。 まだ海水がひかない |
建ちだした仮設住宅。神戸の震災後を思い出す。厳しい夏そして冬を迎える。 決して神戸のように悲しい孤独死を出してはいけない |
津波に襲われたビニールハウス |
同日5/25(水)夜は、多賀城文化センター避難所に行き、医療相談。診療ブースにいて、医師の診察に見合うOTC(市販薬)を選んで投薬をしました。風邪症状が多かったです。
避難所の医療ブースで一緒に調剤に従事した青森民医連の太田薬剤師 |
手が空いたときに、足浴コーナーで足湯をしてもらっている人の肩もみをしながら、被災時の様子を聞いたりもしました。
私と同じくらいの子どもさんがいる女性から、「揺れがひどかったし、津波が来た時には、日本全体が沈没したと思った。職場が流され家も流された。小学生の娘に家がなくなったことを伝えると、泣きながら『そんなこと言わないで』と言われた」と聞き、胸が詰まりました。自分の家がなくなった、受け入れ難い過酷な現実…。
私と同じくらいの子どもさんがいる女性から、「揺れがひどかったし、津波が来た時には、日本全体が沈没したと思った。職場が流され家も流された。小学生の娘に家がなくなったことを伝えると、泣きながら『そんなこと言わないで』と言われた」と聞き、胸が詰まりました。自分の家がなくなった、受け入れ難い過酷な現実…。
そんな中、避難所の小学生の女の子達が、自ら足浴チームに入り大人の足湯をしてあげている姿がありました。自らも被災して、避難所から通学して大変なのに、少しでも喜んでもらいたいと無心に足のマッサージをする姿に心を打たれました。
呼び込みのために小学生の女の子たちが作ったパネル。 |
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