2011年2月4日金曜日

681人

 タイトルの数字は、先月の阪神・淡路大震災メモリアルデーの頃発表された、復興住宅での孤独死の累計です。

 目がくらむような数です。

 仮設住宅でも全部で233人が孤独死しましたから、合わせて1千人に迫る勢い。復興住宅の孤独死はいまも一向に減らず、行政は有効な対策を取ろうとしません。
 
 誰にもみとられずに亡くなり、死後何日、あるいは何カ月で発見される。震災でせっかく助かった人たちが、こういう非人間的な死を迎える。「復興」の現実です。
 私は胸をえぐられるような思いを抱いてきました。それが社会的な活動をする原点になりました。今回の立候補の動機の根本にもあります。

 *震災直後、避難所に人があふれ、まだ瓦礫の下に人が埋まっていたのに、笹山幸俊神戸市長(当時)が「当然、神戸空港を建設する」と宣言したこと。 
 *村山富一首相(当時)が「個人補償はできない。生活再建は自力で」と被災者を突き放したこと。
 *県や神戸市が、被災者を避難所から遠くの仮設住宅に追いやってコミュニティを壊し、そこからまたバラバラにして元の街から遠い復興住宅に追いやったこと。
 *国は、「住専」や銀行には税金を投入したのに、被災者への個人補償・公的支援は拒否したこと。
 *料金滞納で本人と相談もせずに神戸市が水道を止めた仮設住宅の女性が、餓死したこと。(通常、災害被災者には滞納でも水道を止めることはない)
 *神戸空港建設で住民投票を求める30万人以上の署名にもとづく住民投票条例案を、市議会で自民党、民主党、公明党が否決し、空港建設に突き進んでいったこと。
 *井戸敏三知事が「関東大震災が起きたらチャンスだ」と発言したこと。
 ……etc
 こんなことがあっていいのか、と思うようなことが本当にたくさんありました。

 国や兵庫県、神戸市のこうした態度や被災者の人たちをろくに支援しなかったことが、どれほど生きる希望を奪ったことか。「棄民」という言葉も生まれました。
 こういうなかで大量の孤独死が起き、ずっと続いています。生活や営業を立て直せず、自殺した人、借金に苦しむ人もたくさんいます。
 人災、政治災害ではないでしょうか。

 そして、この県政、神戸市政を一体となって支え、推進してきたのが、自民党、民主党、公明党の「オール与党」(みんなの党も最近仲間入り)であることを絶対に忘れるわけにはいきません。

 神戸市などはいままた、「期限」だとして借り上げ復興住宅から被災者を追い出そうとしています。90歳代の人にまで引っ越しを迫るという神経。市がいう引っ越し先はエレベーターもない市営住宅の4階、5階の空き室。高齢者が住めるはずもありません。
 冷酷な体質は何も変わっていません。

 一方、長年の粘り強い運動で、国が災害被災者の住宅再建に300万円を出す制度ができました。
 
 私は、震災以来、常に被災者の立場に立ち、絶対に裏切らなかった日本共産党の一員として、全ての被災者の方々が立ち直ったといえる日まで努力したいと思います。

 
 ……またも「日々是好日」になりませんでした(-_-;)。

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